2015年1月22日木曜日

映画「Big Eyes」(※観る予定の方はネタバレ注意)

            
                         (雑誌女性セブンより)

え~
さくねん世間をさわがせた忘れられないキャラクターといえば「現代のエセ・ベートーヴェン」佐村なんちゃら氏でして、当時かなり下世話な想像もワタシ、しちゃったんでありますな。タダナラヌ仲だったのかな~とか思わずおもってしまったんですな・・・。

しかもお相手のN垣氏って相当なポテンシャルがありそうなキャラ。
と思っていたら年末にファッションモデルデビューしたりレコード大賞にもでて何かやってるし。
そんな「ゴーストライター」って存在に注目が集まっていた去年、フェイスブック上で「キーンをあのティム・バートンが撮るんだって」と聞き・・・

キーン( Keane)って、かつてアメリカで大流行したぺインター夫妻の名前。
異様に大きな目=Big Eyes をもつ浮浪児やサーカスの子供を描いて多くのフォロワーを生んだけれど、メイン・ストリームのアート界からは「キッチュで悪趣味」と批判され無視された流行画家。日本でいえば古くは東郷青児や竹久夢二、最近でいえばラッセンとかヒロ・ヤマガタみたいな感じ。
そしてもうひとつ、夫婦で描いたとされたモノすべてが実は妻ひとりの作品だったと判明した、スキャンダラスな作家でもある。つまり妻が夫のゴーストペインターだったってこと。

     



サンフランシスコやオレンジ・カウンティのフリーマーケット、ロウズボウル、サルベーション・アーミー。
ワタシも「60’sアメリカン」な文化に夢中だったミレニアム前ごろ、名高いコレクターである友人夫妻のお部屋にあこがれて西海岸に通い「キーン」の作品を捜してあるいた時期があるが、なにしろ「キーン」のレプリカじたい希少でプレミアもついていたから、もっぱら「Like Keane」とよばれる「キーン」 の二番煎じみたいなやつを買っていた(それでも結構な値段した)。

当時発売されていた画集もe-bayで買った。夫のウォルター・キーンと妻マーガレット・キーンの作品集が二冊一組になっているもの。
買ったあとに「真相」が書かれた新聞記事をアメリカの友人が送ってくれてビックリし、まじまじと二冊の画集を交互にながめた。一人のひとが描いたということに、おおきな違和感。しっくりいかない。
なにしろ二冊の作品はたしかに「Big Eyes」には違いないが、それぞれの絵の言わんとする世界観が剥離している。そこまで違うのに、同一人物が描いたというほうが無理があるというのが素直な感想だった。
よくわかんないなあ。まあいっか。。。
仕事も忙しくなりだんだんと「キーン」を忘れた。

     


そうこうしているうちに件の画集も実家に置いてきたまま10年以上の歳月がながれて今回の映画「Big Eyes」。
むかし疑問におもっていた事が解明される期待(映画なんだから事実関係を相当調べてのことだろう)と不安(あの時抱いた疑問ってなんだったのだろう)。


これは観に行かねばなるまい。


時代は1950年代のアメリカ・カリフォルニア。自由の国アメリカでも女性の自由にはまだ保守的で、女は家にいて子供をみるのが当然という封建的な社会。
それを象徴するように、冒頭ではドリーミーなアメリカンハウスに青い芝生、それが等間隔にならぶ人工的な住宅地の風景が描かれる。ありったけのキャンバスや絵の具を車(またこれが可愛い水色のクラシック・カー)に詰めこんで、後部座席の娘の手をぎゅっと握りしめコンサバな結婚写真を尻目に、主人公マーガレットが砂漠の山を越えていくところで映画は始まる。

サンフランシスコにやってきた彼女は、ウォルター・キーンと運命的に出会う(というより、黄金のカモとして見出されるといったほうが正しいかもしれない)
このクリストフ・ヴァルツ演じる夫キーンが、最初からとにかく胡散臭いので、おいおい大丈夫かあ~???と観ている方はメタクタ心配になる。もう気分はマーガレットの幼なじみだ(前編を通してマーガレットの才能を信じている友人、この女優さんがすごく可愛い)。

女ひとりの力ではどうにも世間に抗えなかった時代だったのだ。
それをよくわかっていたから、マーガレットは夫の影で描いて描いて描きまくる。それを夫が自分の作品として売り出す。
ウォルターの商才によって頂点まで登りつめた夫妻だが、アート界のメインストリームから拒絶されて怒り狂ったウォルターはだんだん正気を失っていく。ついに夫に愛想を尽かしたマーガレットはハワイへ逃げ、自分自身の絵を描きはじめる。

なるほど、そういうことか。
小さな画室に一日十何時間も軟禁されて絵を描かされノイローゼ状態のマーガレットが描いた、悲しい眼をした「ウォルター版ビッグ・アイズ」。
たいしてハワイに移住し「レリゴ~♪」的に生まれ変わった清潔感のある「マーガレット版ビッグ・アイズ」。
二冊の作品集に対して、あの頃感じていた違和感ってこういうことだったのね。それは違うわけだ、作品から受けとるメッセージが。

マーガレットはついに決意し、ハワイのラジオ番組で事実を白日の元にさらして夫を提訴する。


しかしだ。
マーガレットの絵も夫ウォルターの口八丁・手八丁が無ければきっと世にでることはなかったろう(これは本人も後日そう認めているようだ)。N垣さんの現在の活躍も、佐村なんちゃら氏無くしてはあり得なかった。キーン夫や佐村なんちゃら氏を擁護するわけではないし、これら二例はかなり極端な例ではある。でも夫婦の離婚ふくめ、何かを共に創っていたチーム/パートナーの関係が壊れるときって大抵こういう感じなのだろうとこの映画を観たあと痛切に思う。
事業・財産・子供。
漫画家・藤子不二雄の例を出すまでもなく、どちらがどこまで産んだ育てた大きくした、と明確に線引きするのは難しい。自分にないものを持っているから相手に惹かれたり補い合うわけで、始まりは連理の枝・比翼の鳥にならん、ぐらいの想いで始まった関係が終わるころには周りも巻き込んで満身創痍。

つまりこれは「夫婦の離婚」と「アートの所有権をめぐる元パートナーたち」が二重構造で描かれた作品なのだ。
お腹を痛めて子供を産むのが母親であるように「Big Eyesをもつ子どもたち」を産んだのも勿論マーガレットなのだが、それを育てて世に出したのは夫のウォルターだ。
本人たちは大真面目だが、他人の冷めた目からみると(どっちもどっちだな)と思わせるのが実はこの手の話だが、この映画の封建的空気のアメリカという背景がマーガレットにより共感できる仕組みになっている。ティム・バートンはそのあたりの匙加減をよく心得ていてクライマックスは胸のすく勧善懲悪的展開。クリストフ・ヴァルツが上手すぎて滑稽さが極まる裁判のシーンは圧巻。





そんな映画「Big Eyes」、台湾ではすでに公開中。
日本公開はあした、2015年1月23日から。


         







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