2015年1月10日土曜日

上野雄次さんの花2


(2013年11月)






上野さんの木はあやうい。
倒れてしまう
というギリギリのところでグッと立ちあがった木と器との境目から植物のエネルギーのながれに導かれて視線はすんなりと動きさいご目が立ち止まったところで、掌を広げるように花がさいている。
目の前の空間のなかに「生命力」そのものと化した植物がいて、目をそらせなくなる。


先月にひきつづき、小慢サロンで上野雄次さんのはないけ教室。
前回とおなじく予めいけてある作品を分解し、ふたたび組み立てながら話をきく。
上野さん曰く、作品で生命力をかんじさせるにはいくつかの方法がある。

たとえば緊張感をもたせる。
力なく横たわるのは、ひとにとっていちばん重力に逆らわない安定した状態。元気だから重力にさからえる。もっといえば、片足で立ったりひどく不安定な状態で立ったり。エネルギーがみなぎっているからこそ重力に抵抗できる。
たとえばリズムをもたせる。
ひとにとって最も身近なリズム、心臓の鼓動をかんじさせる。
植物のいのちを個人的な表現につかうというエゴイスティックなおこない、それが花をいける行為である。それに報いるために、その植物が最大限の生命力を感じさせるようにいけてあげたい。
上野さんの目指す「はないけ」(いけばな、ではなく)とはそういうところにある、とのお話にいたくジーンときてしまう。


で、こんかいのわたしの花。
明式風の小卓に青磁の花器、芭蕉などあわせてこれまでわりと避けてきた中華テイストに挑戦。
西施のように美しくたおやかな妖女のイメージ。
ほんとうは扇のような枯材を垂直に立てて孔雀の羽に見立てたようにしたかったのが、きちんと立たなかったので無難な方向にいろいろ組み合わせて。。。









その後、ファースト・アイデアを聞いてくださった上野さんが、ならぜひそれを実現させましょう。といけなおしてくれたのがこちら。



みごとな孔雀に化けた。
一手ごとにかたちが決まっていく上野さんの「はないけ」は鮎川誠いうところの「ロックなアティチュード」そのもの。
ステージに立った瞬間にジャーンと鳴る。シビレル。






上野教室から何日か後。
用事があり台北の東北海沿いにある基隆・金山にいったときこんな風景にであった。



台湾の山の風景を、ずっとすきになれないでいた。
日本にくらべて季節感や色合いのなんて乏しくつまらないんだろうと思っていた。
でも、気付くとずいぶんおもしろいね。
おそらく先日の台風で倒れたのだろう樹の根元から、切り株から、生命がみなぎり吹き出している。もうすぐ冬がくるというのに。



素晴らしい人や文学/音楽/映画/美術作品に出会ったあと、こうしてすこしずつ、でも確実に人生は変わる。
いつも暗く波のたかい岸辺には、ちいさな惑星やレースが打ち上げられている。


                





























                                  

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