2015年1月12日月曜日

上野雄次さんの花4

(2014年5月)








美しい花がある。花の美しさというものは無い。






今月の上野教室、わたしの花。



百合
ワトソニア
スカビオサ
山帰来

マムシグサ





師曰く、先ず野に在りしすがたを倣うべし。
上野さんがよく使われる「花の素性」って言葉が好きだ。ほとんどの植物は陽のひかりをもとめて成長する(陰に育つものもあるが)。そうして自然環境のもとにあった姿を想像すれば植物の「正面」はおのずとみえてくる。千利休のことば「野にあるように生ける」をおもいだす。言葉として知ってはいたけれど、今になってナルホドとおもう。


もうひとつ今回グッときたのは、「咲いている花」こそ植物のエネルギーの満ちる・満ちた結果だってこと。
成長して花を咲かせエネルギーがきわまった植物は、あるものは受粉してつぎの世代にDNAをのこす。


ロバート・メイプルソープの作品を挙げるまでもなく花はエロスの象徴となりえるが、世間一般的にいえば自分の生命のみなもとをつきつけられた人は恥ずかしくて下をむいてしまう。でも花を観た人が皆そうはならない。
そうか、そういうことか。
それが花の「徳」というもので、だから人は花とかかわらずに居られないということか。

お手洗いに立って、ドキッとした。
「小慢」オーナー・謝小曼さんの美意識がいきわたったうつくしい浴室で極楽鳥花が、死体のように沈んでいた。




絶世の美女がよこたわっている。
野から離れ衰えた血管をいっぱいにひろげて、足もとから身体のすみずみまで水をおくる。
冒頭にあげたのは、小林秀雄のことば。

「うつくしいはながある」


みるひとの「眼」によって、触るひとの「手」によって、うつくしくも醜くもなる「花」。

なんにせよ太陽にたいして植物がいちばんうつくしい姿をみせる、というのはおもしろい。
わたしの太陽ってなんだろうかと、考えてみるのもおもしろい。


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