2015年4月1日水曜日

象の背に乗りて台北を望む。

     



雨が降りはじめてからしばらくして、観衆の大歓声が地鳴りするように雷がひびいた。
待ちかねたスター、の訪れに世界が狂喜しているみたいだ。
台北は亜熱帯だが常夏というのとは違う。冬はそれなりに寒いし、四季らしきものも一応はある。それでも日本のような淡い色合いのグラデーションはなく、FBに上がってくる日本の桜の写真をいちいち地団駄をふむような気持ちで見つめる。
さて、数日のあいだ雨はジットリと降りつづいたものの先週末はさいきん稀にみる青空となり、すわ絶好の登山日和と台北市内にある「象山」へ初めて出かけた。
昨年開通したMRT信義線の終着駅。
家を出て目的駅に着くまでおよそ30分。
駅を出て山の麓の公園に沿って登山口まで歩くこと15分。台北のこういう手軽さ、わりといい。
登り口から急な勾配の階段がつづく。
ひっは・ひっは
階段を踏みしめる腿に日頃の運動不足が刺すように自己主張してくる。

ひっはーひっ・はー・あー、もうだめ。

すぐそばの踊り場で休憩。
「ここは一番目の休憩所だから、ここで休憩するのはおじいちゃんおばあちゃんだよ」
と夫が小憎らしいことを言ってくる。
象山は標高がそう高い山ではない。すれ違うひとも若者グループからファミリー、ここに登るのを日課にしていそうな年配のおばさんなど様々。中にはミニスカートにパンプス姿で「ショッピングのついでに登っちゃった」みたいな女子も居る。
休憩をはさみつつ、30分ほど階段をあがったところで頂上についた。




絶景かな、絶景かな。




眼下には信義区の高層ビル群、その中心にそびえる101ビル。
その向こうに台北アリーナ・台北駅・淡水河が横たわり円山ホテル、背後には観音山がなだらかに霞んでいる。この街が四方を山にかこまれた盆地であることが、こうしてみるとよくわかる。260万人ものひとが暮らす台北。そのわりには、ずいぶん小じんまりしてるな。京都より少し大きいぐらいかな?
この小さな土地のうえに、どれだけの記憶がつもっては忘れられてきたんだろう。
象山はカタチが象に似ていることから名前がついたという。近くにある獅山・豹山・虎山とあわせて四獣山と呼ばれる。
この象の足元・信義区は、80年代の開発計画をもとに世界貿易センターや金融ビル群および101ビルが建設され、いまや屈指の新興高級エリアとなった。101ビルと象山の間には豪華マンションが立ちならび、その地下駐車場からはベントレーやマセラティがぬっと顔をだす。
そんなマンションの間から山を覗くと、物置ぐらいの大きさはある墓がびっしりとフジツボのように斜面を埋めているのが見える。マンション群の艶ピカの大理石とお墓の崩れかけたレンガとのギャップは、どこか非日常的な不安感を煽る。

話は変わるが、わたしの母校は京都の西山にほど近い「沓掛(くつかけ)」という場所にある。
学校といえば怪談とか都市伝説は付きもので、わが母校にもあった。
例えば、そこいら京の都外れはかつて刑場で「沓掛」の沓とは頭部を指し処刑された罪人の首を晒した場所だった、とか建設中に掘ったら山ほど骨が出てきたので慌てて埋めたため校内にアップダウンが多い、とか。
後にふと思い出してインターネットで調べてみたら、沓というのは馬の鞍のことで山越えをするのにそこで一度鞍を下ろして馬を休めた、とある。
外れというよりは山奥と言ったほうがいいようなあの一帯をわざわざ刑場にしたとも思えない。第一そこに晒して誰がみるのだ。当時は信じこんで噂の手がまだ届かぬ友人に吹聴したものだが、今になってみると眉唾である。錦市場で有名な錦通りが昔は「糞通り」だったとか、1200年の歴史を誇る古都においてこのテの話はきりがない。

信義区に話を戻す。
このあたりにも昔からいろんな噂がある。
日本時代に刑場であった・228事件の処刑場にあたり大勢の人が惨殺されたので無縁墓がたくさんある・とある高級マンション施工の際に地下から麻袋に入った死体が幾つも出来てきた・・・などなど。区内の某高級ホテルは世界で10指に入る幽霊スポット、というのはその筋では有名な話らしい。

記録はそこに真実を想像する余地を与えてくれる。調べてわかったのは、日本時代・白色恐怖時代に大きな刑場があったのは、少なくともここではない。
もっと言えば、小さな処刑が行われたと言われる場所は街のあちこちに点在している。また現在、公園になっている場所の多くがかつて日本時代に墓地だったとの説もある。
信義区の出している「信義区歴史沿革」によると、日本時代にそのあたりは陸軍倉庫だったらしい。空港や淡水からまっすぐ基龍路を通って兵器を運びこめる便利な立地だった。
兵隊駐屯地と保養所も併設されていたが、山の脇には家畜の屠殺場があった(じっさい家畜の鎮魂のための墓碑が立っている場所がある)。
戦後に山の斜面は中国から渡ってきた寧波県人会に買い取られ公共墓地になったとある。精神病院や結核療養所も建てられ、1980年台の開発計画以前は地価の上がりようのない場所だったといえる。土砂崩れの危険性だってある。ダークな噂を生むには格好の土地柄だったから、街の背負う暗い記憶が亡霊と化して人の口にのぼったのかもしれない。開発に携わった不動産ディベロッパーはずいぶん頭を悩ませたものだろう。
結果的に計画は見事に成功し、このエリアはセレブの象徴となった。
今や週末になると人々がビールジョッキから泡がこぼれるように集まる。地価も東京の都心部よりずっと高い。

象山の頂上からもういちど市街を眺める。この街のいたる場所に塗り込められた血色の記憶は、新しい価値が断層のように覆いかぶさり表面からみえることはない。
向こうにみえる淡水沿いの萬華地区、中国・清朝の頃に大稻埕と呼ばれた地域から台北は始まった。日本植民地時代から白色恐怖時代、そして現代。
豊かさに対する人々の「もっと、もっと」という欲望をたべて、街は象山の麓まで大きく成長した。
そのとき突如として頭のなかの映写機が映しだしたのは、映画「インファナル・アフェア」の最後、エリック・ツァンがに乗っているシーン。
おびただしい数の屍(しかばね)をものともせず、さらなる富と力をもとめて象の背に乗り悠々とあるく「サム」の姿だ。

         


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