2015年4月10日金曜日

清明節考






二十四節気のうちの「清明」

三省堂の「大辞林」によると
二十四節気の一。三月節気。太陽が黄経15度に達した時をいい,現行の太陽暦で45日頃にあたる。万物清く陽気になる時期という意。
清く明らかなこと。清らかで,曇りのないさま。

とある。
日本なら春爛漫、グラスにシャンパンをそそぐが如く桜の花泡だつ花見シーズンだが、台湾では掃墓(サオムゥ)といって先祖の墓に参る大切な節句である。

清明時節雨紛紛(清明の時節 、雨紛紛)

唐の詩人・杜牧の、そんな一行ではじまる「清明」というタイトルの詩がある。台北もこの時期は雨季にあたりシトシトどんより雨が降りつづく。
清明節に一度だけ、夫の一族の掃墓に参加したことがある。まだ言葉もよくわからない頃だった。
場所は淡水のほうで、車を降りると見渡すかぎり小さな家ぐらいの墓が山に沿って連なっていた。家墓の方向に見当をつけ、他家の墓と墓のあいだを抜けて雨ですべる道なき道をゆく。ぬかるみに足をとられて靴を泥だらけにしながら、ようやく家墓に着いた。
幅6、7メートルの家のなりをして、門の上に家名が掲げられている。屋根の向こうは壺を逆さにしたような形状の丘になっており、ちょうど沖縄の亀甲墓によく似ていた。丘のうえに茫々と生えた雑草を鎌で刈りとり、門を清潔に整える。
それから酒や鶏の丸焼き・紅く染めた卵などを墓前に供え、紙銭(祖先や神様のための紙のお金)を燃やし、清められてサッパリした丘で爆竹を鳴らした。早朝から昼ごろまでかかる大行事。そのほかは、異様な疲労感で帰って泥のように眠ったことぐらいしか覚えていない。
(その後いろいろあって、そこに行く機会は無くなったが)

かつて土葬が主だった時代は、10年弱を経て棺のなかで骨化した遺体を掘りだしきれいに洗骨し正式に墓にいれるという手順を踏んでいたらしい。棺の方向や日取りはすべて家運に関わるとされ、それを司ったのが「風水師」だ(名付けや家の間どり・日どりで今も台湾人の生活におおきく関わっている)。
白色テロのなかで命を落としたと言われる小説家・呂赫若(りょ・かくじゃく)は、日本語で書かれた風水(ホンスイ)」という短編小説のなかで墓をめぐる兄弟のいさかいを描いた。
強欲な弟がじぶんに都合のよい風水師を勝手によんで父親の棺のむきを変えたり、数年で母親の棺を掘りおこして棺の蓋をはずすと遺体が腐る途中だったというエゲツナイ話だが、現在でも兄弟で成功の度合いに差ができると、墓の風水問題が喧嘩の種になるのは珍しくない。

エゲツナイ、といえば、清明節に掃墓をするようになった由来がコレマタ物凄い。

春秋戦国の時代、のちに天下の覇者となった晋国の文公は若いじぶん、介之推(かい・しすい)という名の家臣をともなって戦乱をさけて放浪していた。
幾日も食べ物を口にしていない文公は気も狂わんばかり。ようやく農村に辿り着いて百姓に食べものを乞うたが「こんな世の中でじぶんが食べるものさえないのに、おまえにやるものなぞあるものか、どうしても食いたけりゃ泥でも食いな」と返されて絶望し、ついには泣き出してしまう。
見かねた家臣の介之推は再び村にはいり、一椀の肉入りスープを持ってきた。
文公は喜んで一息にスープをひとくちに飲み干す。ようやく生き返った心地であった。
ふと傍らにいる介之推を見ると青い顔をして、足からは血がダラダラと流れている。
文公が再三問い詰めたところ、実はあのスープはじぶんの太ももを切りおとして煮たものだと介之推が告白したので、文公は深く感動したのだった(って、オイ!)
やがて戦乱は収まり、国に戻った文公は晋国の君主となる。功績のあった者達には報奨が与えられたが、何故か介之推だけがそこから漏れてしまう。希望を失った介之推は母親を連れて山中深くに入り、隠遁生活を始める。
一方、介之推がかつて自分の腿肉を切りおとしてまで自分の命を救ったことに思い到った文公は、報奨を与えなかったことを後悔して介之推の暮らす山へとむかう。
しかし山はふかく、分けいっても分けいっても介之推を見つける事ができない。
「そうだ、山火事になれば介之推母子も驚いて出てくるだろう」(オイオイ!)
そう思い立って文公は、山に火を放つ。火は山を三日三晩焼きつくしたが遂に母子は出て来ず、焼け残った大木のそばに抱き合ったまま黒焦げになった姿が見つかったのであった。
文公は自責の念にかられ、介之推を悼んで清明節の前日は火を使うことを禁じた。これを寒食節といい、この日だけは冷たい食事を取ることが習わしとなった。
また清明節には門前に柳の木をかざって介之推の霊をまねき、野山にあそんで介之推の霊を慰め、そして先賢を敬うことから転じて清明節=掃墓の日になったということである。

もう、ムチャクチャでござりますがな!である。
こら、文公!と突っ込みどころ満載なんである。
前に書いた「七爺八爺」といい、中国の民話とかって凄みのある話がホント多い。
それにしても文公の介之推にたいするあまりにもムゴイ仕打ちに、聖徳太子が蘇我蝦夷に恋をするブッ飛び傑作漫画「日出ずる処の天子」(by山岸凉子)的なモノ凄く屈折した暗~い愛情をかんじるのは、ワタシだけだろうか?
そういう目線で是非とも漫画化してほしい気もするが、いかがだろうか?


さて、清明の時節、 雨、紛紛。
昨年の台風がもたらした雨がすくなく、今年の台湾は1947年ぶりの深刻な水不足と報じられている。中部・南部のダムの中には蓄えが20%を切ったところもあり、北部でも新北・桃園市で2日おきの断水が始まった。普段なら憂鬱な雨も、ことしは恵みの雫に思えて雨音も耳にやさしくひびく。

 清明時節雨紛紛」のあと、詩はこう続く。


路上行人魂欲斷   路上の行人 魂を斷たんと欲す

借問酒家何處有   借問す 酒家 何れの處にか有る

牧童遙指杏花村   牧童 遙かに指さす 杏花の村

10年前に台湾で暮らし始めたのも丁度この季節だった。終わりを知らぬかのようにビシャビシャと地面を濡らす雨。そこにホームシックも手伝って、気分はまさに「 魂を斷たんと欲す」(気が滅入ってしまい魂も折れんばかり)。
そんな心持ちを、いまは懐かしく思いだす。








(追記)
清明節に人生が変わることもある。
レトロな看板やパッケージをポストカードに仕立てる活動などを通して台湾人のアイデンティティを求めつづける美術家・秦政徳は、「秦」姓を名のること44年目にして本当の苗字が「成」であることを知ったという。一昨年、中国で初めてあった異母兄が清明節に父親の墓参りに台湾をおとずれ、墓上の父の名をみたことから判明したのだ。
父親は山西省の出身だったが、国共内戦中に地下工作員だった関係で実名を隠したのだろうということも、そのとき兄に聞いて知ったそうだ。 (※参考記事



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