2015年5月16日土曜日

エッグマフィンと宇宙人の見る夢





宇宙人といって思い出すのが、大島弓子の漫画「ロング・ロング・ケーキ」に出てくる宇宙人の宇さん


地球のどマニアの宇さんは、自分の星が滅びる直前に念じて地球にテレポーテーションし、作家志望の大学生・コタ(小太郎)の元へやってきた。
超能力を使ってコタの理想の女性に変身したり、コタに替わって文芸サークルの原稿を仕上げたりする宇さん。コタは宇さんを得てまさに「夢のような」日々を送るが、そこにだんだんと亀裂が生じる。
果たして、それらはすべてコタが見ていた夢であり、コタは精神病院で暮らす日々を送っている。
発症の原因は、コタの創作活動を支えてきた「シシオ」への失恋。シシオへの同性愛的な恋愛の苦しみが、宇さんという幻想を産み、コタはその世界で生きていると医者は言う。
しかし、コタ側からの言い分はちがう。コタによると、宇さんは日々蝶やコップに姿を変えてコタのそばに寄り添っているという。

さて、どちらが本当の世界だろうか?

」と「入れ子構造になった多次元的宇宙」との関係(目の前にある世界はすべて「私」の見ている夢であり、無数の個人の夢が合わさったものが世界であるという考え方)
を描いた作品の中では、わたしの知る限り最高に切なくて抜群にロマンティックな傑作だ。
最近ハマっている台湾のバンド「宇宙人」の曲を聴きながら、そんなことが頭に浮かんだ。それは、

コタと宇さん

同性同士・異性同士かかわらず、恋と人生の苦しさを喝破した台湾映画『GF*BF』

台湾のバンド・「宇宙人(cosmos people)」

という、アホみたいに単純な連想ゲームの賜物かもしれないけれど。けれど。


「宇宙人」は昨年Pヴァイン・レコードよりアルバムを出し、日本デビューも果たした台湾の人気ポップバンド。80年代の歌謡曲や90年代の渋谷系っぽいノリにソウル・ミュージックのテイスト。センスのいい楽曲といいアレンジといい透明感のあるボーカルの小玉の声といい、一度聴いたら好きになっちゃう中年世代は多いと思う。

だがワタシが何よりも「宇宙人」に惹かれるのはその、まっすぐさ加減。
曲のなかで「平和ってどういう意味?」と街のひとに聞いて回る「いっしょに走ろう」
マクドのドライブスルーではバイトの女の子から「え?ハローキティですか?」と困惑した声で聞き返され、市場のおじさんからは「まあ、お酒持って来なさい」と言われ、ついには花蓮の「和平」という村に到着し、そこの「平和」な空気を小瓶に詰める・・・。

あまりのヒネリの無さに日本人なら気恥ずかしくなっちゃて尻込みしてるところを、サクッとこなしてしまう実直さ。





台湾の若い子たちには日本人に見られがちな「テレ」がない。
バスや電車でお年寄りや子供をみれば、照れずにスッと席を替わる。車いすを助ける。ジェンダーの意識が薄く、ワタシはワタシっていう感じ。原発に反対だからハッキリと「要らない」といい、デモが起これば数万人が集まり、昨年はそのノリでついに国会まで占拠してしまった。
もちろん、それが全てイコール長所ではない。
けれど、「宇宙人」にはわたしが台湾の若者について好ましいと思うエッセンスが詰まっている。

「いっしょにはしろう
わかれ道があるかもしれない
横断歩道に阻まれるかもしれない
だけど僕たちに辿りつけない道なんてないんだ」

忘れられない言葉がある。
京都のカリスマ・パフォーマンスグループ「ダムタイプ」の故・古橋悌二さんが言っていた「リアルとは皆で見る夢」という言葉。
 「宇宙人」を聴いてると、本当に無邪気に「世界がよくなってほしい、平和であってほしい」っておもう。
そして、かつて悲惨な戦争が終わったときのみんなの「ねがい」が記された日本国憲法って素晴らしいなあ、とあらためて考えたりもする。




最近もうひとつハマっているのが、台湾のラップ・ミュージシャン「Soft Lipa(蛋堡)」
蛋堡ってマクドのモーニングにあるエッグマフィンのこと。
むかし登校時に毎日お父さんがエッグマフィンの朝ごはんを買ってくれたことから、その名前になったらしい(台湾は朝ごはんを外で買い食いする人が多い)。

村上春樹的世界とラップの融合」とか評される、台湾で唯一無二の文学青年系ラップミュージシャンだ。




殆どは台湾華語(いわゆる中国語・北京語)だけれど、このリンクの曲は台湾ローカルの言葉「台湾語(南語)」で歌われている
(だから何て言ってるかはよくわからないのだけど、王さんって気前のいい人を探して遊びに行こう、って内容らしい)。
なんというか、言葉の音楽へのノリ方があまりにもスムーズなので初めて聴いたときには驚いたものだ。
WHAT'S UP?」を「ワラ」って発音するブラック・アメリカンの音に、すごく近い感じといえばいいか?
じつはこの台湾語(南語)と詩との関わりは、思いがけず深い。
唐の時代に使われていた中国語は、南地方の言葉(現在の福建語)に近い言葉が使われていたらしい。
だから現在のいわゆる中国語(北京語)で読んでもちっとも韻を踏まない李白や杜甫の詩だって、台湾語(南語)でよめば美しく韻を踏むのだ。
そんな言葉の歴史を考えれば、台湾語で格好良くラップ出来る人がもっと出てきてもいいと思うのだけれど。

ちなみにラップのこと、中国語では「饒舌音楽」という(ラッパーは饒舌歌手)。
上質な短編小説のように男の子の煩悶を描き出した

「蛋堡-少年維持著煩惱」。

まさにその「饒舌」の名にふさわしい。












                         






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