2015年7月5日日曜日

台北のY字路⑥(温州街・2)


きょうのY字路。
かつてこの温州街付近を基盤として成長した外省系やくざグループ(台湾の暴力団は外省掛/本省掛という二つの派にわかれる)で、台湾三大やくざのうちのひとつと呼ばれた「三環組」の組長・通称「光頭」が育った家もこのY字路のすぐそばにある。

左にある小さな川は、かつて新生南路が「瑠公圳 」という疎水の支流だった頃の名残。

因みに日本統治時代の疎水の呼び名は「堀川」といい、脇の道路(今の新生南路)は「堀川通り」と呼ばれた。



昔からこの一帯には「陳」という苗字の本省人が住んでいて、戦後にここらへんの和風古民家に住むようになった外省人グループからは「台湾人村」と呼ばれていたようだ。その後に村の中心に辛亥路が通されたことにより「台湾人村」の住人は散りぢりになってしまったが、陳氏の御先祖を祭った小さな廟が、現在はこの地域の氏神「白霊公」の廟としてY字路の向いにそのまま残る。


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