2015年8月16日日曜日

台北のY字路⑭~陳さんのお盆



きょうの布袋戲(プータイシ)のあるY字路。

これから一ヶ月続く「鬼月」を無事に終えることが出来るよう、いつも近所の「大学公園」の氏神様のところで祭礼があります。

太平洋戦争が終わって日本人が去り、住んでいた和風家屋は国民党に接収されたので、台北帝国大学関係の日本人が多く住んでいたこの辺りは、戦後に移民してきた外省系の人々が多く住むエリアとなりました。
その中に一部、温州街の大学公園がある辺りには昔から本省人が住む場所があり、「台湾人村」と呼ばれていたそうです。人々の姓を「陳」といい、「台湾人村」の中心に辛亥路が開通すると共に散り散りになりました。
本来、「大学公園」にある「白霊公」は陳一族の祖先を祀る廟でした。現在はこの地域の氏神さまとして祀られていますが、この時期には陳家の末裔も集まってきて、地元の人々と共に祭りを行います。つまり「お盆」です。

時は古く、ここ大安区が「大湾」と呼ばれていた清・乾隆帝の時代。
福建省安渓から海をわたってきた移民の人々によって、この湿地帯は開拓されました。

大安区の開拓民の中で財を興した家の一つ、「陳氏」は、現在の「自来水」裏側の芳蘭路✕基隆路あたりに、当時の伝統的な中国式建築である三合院の住居を建て、「義芳居」と名づけました(現在は古蹟)。
その子孫たちが大安区内に散って居を成した、そのうちのひとつが、現在の温州街にあった陳家の「台湾人村」であったようです。

陳一族のお墓は、始めは西門町一帯にあったものの、日本人の都市計画により西門の地を追われ、華西街→華江橋と次々に已む無く場所を替えます。そして終に、いま台北市の公共葬儀場(第二殯館)がある辛亥路三段の脇に「萬善堂(地蔵王廟)」を建て、漸く安住の地を見つけました。
その地域の町内会長である陳氏の子孫が毎日焼香をし、お茶を奉じて世話をしていますが、とある日、いつものお茶を忘れて立ち去ろうとしたところで、背後から「お茶はどうした?」という声がしました。それ以来、毎日お茶を絶対に欠かさないようになったということです。

伝統のある廟(寺)の祭礼には、大体、移動トラック式の劇団が呼ばれます。
かつては何人も登場するような豪華な「歌仔戲(台湾オペラ)」が呼ばれたものですが、近年はひとりの出張で出来る「布袋戲(人形劇)」に変わりつつあるようです(声は録音)。

人形劇が呼ばれるだけでもまだ良い方で、台北のいろんな場所で行われているこういった伝統的な風習は、だんだんと簡素化がすすんでいます(日本でもおなじですね)。




0 件のコメント:

コメントを投稿