2015年8月28日金曜日

台湾映画「醉・生夢死」~ 一期は夢よ、ただ狂え 




なにせうぞ
くすんで
一期は夢よ
ただ狂え

室町時代の歌謡「閑吟集」のなかの歌だ。
この夏に台湾で公開された映画「醉・生夢死」を観ていて、そんなのを思い出した。



夜の飲み屋でママをして二人の兄弟を育ててきた母親はアル中で、仕事が終わっても日がな一日飲んでいる。
台湾大学を出た優秀な兄の上禾は、母親の反対を押し切ってアメリカへ留学。弟の「ネズミ」(老鼠)だけが、呑みすぎの母親を心配してちょくちょく帰って来る。母親は、出て行ってしまった兄のことばかり心配している。


時は過ぎ、川沿いに建てられたボロボロの集合住宅の中に、ネズミは兄と従姉とその彼氏と同居していた。
どうやら母親は死んでしまったらしい。
ネズミは身体に刺青をいれてチンピラを気取り、市場の野菜売りの手伝いをしながら酒を飲み、いつもホロ酔いだ。
母親が亡くなった後にアメリカ留学から帰ってきた兄はゲイで、自殺未遂をしたが死にきれず、日々西門紅楼のあたりのハッテン場をうろついている。
ネズミにとってのスターは、従姉の彼氏の仁碩。
「アニキ」と呼んで慕い、部屋にはブロマイドを大きく引き伸ばしたポスターまで貼ってある。仁碩アニキの職業はホストで、同居人にもお構いなしに家ではセックスばかり。
ネズミの彼女は、援助交際で日銭を稼いでいて、喋ることが出来ない少女である。


なんか、こう書いているだけで気分が沈んでくる欝設定だけれども、本当にそんな「やり切れない」話だ。



日本語の四字熟語にもなっているタイトルの「酔生夢死 すいせいむし」という言葉を、辞書で引いてみるとこんな言葉が出てきた。

ただ生きただけのむだな人生についていう。
酒に酔ったような、ゆめを見ているような心もちで、ぼんやりと人生をおえること。
(三省堂/新国語辞典)



社会の隅っこで、あくせくと、またはボンヤリと人は生きて死んでいく。どちらにせよ、どうせいつか同じ場所に帰っていくのだ。
自分の手に蟻をのせて動きを追うというネズミの遊び(というか唯一の趣味)は、大いなる運命の手の上で弄ばれるちっぽけで弱い存在である自分を見つめているようだ。だから、ネズミが蟻にかける言葉は優しい。死にかけのドブ鼠を見かけたときにかける言葉も優しい。
自分よりもさらに社会的弱者である彼女にも、優しい。


登場人物が夢心地に酔いどれて映画が進んでいくについれて、兄の家出の原因やネズミのトラウマ、仁碩アニキの背景が明らかになってきて、それを元にすべてが破滅へと向かう。


終盤でネズミは、川岸に下りていく。
川岸に行くと、死んだはずの母親が待っている。
酔って兄の姿しか映していないように見えた母親の目に、今は自分の姿も優しく映し出されている。
映画はそこで一度途切れ、いつもの市場でネズミが野菜売りを手伝っているシーンに戻る。いつもと変わらない風景。
そこに、喋ることの出来ない彼女や仁碩アニキも登場して、挨拶を交わす。


その市場は恐らく死後の世界である。


あの世でも、相変わらず人々はあくせくボンヤリと、この世と同じように生きている。
映画には描かれていないが、きっと母親に手を引かれてネズミは川に入り死んだんだろう。
それを匂わせるのが、ネズミが川岸に下りる前に、自分の大事にしていた蟻と母親の酒瓶とを外の塀の上に置き去るというカット。酒瓶は母親の、蟻はネズミの執着をあらわすメタファーである。
そこに見えるのは、「死」だけが人を執着から解放してくれるという哀しい人間の業みたいなものだ。


印象的だったのは、ネズミが夜の川べりで強い酒を地面に撒き、彼女を喜ばせようと見せてあげる風景。
撒かれた酒に火をつけると、青い炎の「LOVE」という言葉が現れる。
母を殺したアルコールが燃えるその中に、マッチ売りの少女宜しく「愛」を見い出しても、それは儚くすぐ消える。何とも悲しくて美しいシーンだった。


さて映画は最後に、「あの世」と思われる市場(ワタシの勝手な解釈ではあるが)で仁碩アニキがネズミに「ちょっと休憩してくるわ」と挨拶して市場を離れ、家の暗い廊下を通って、向う側にひかる明るい出口を目指して歩くところで映画は終わる。
恐らく廊下は母親の胎内を表しているのだろうし、仁碩アニキが「休憩してくる」というのは、またコチラの世に生まれてくるという事なのだろう。
とにかく、この映画のあらゆる場面で「母親」というものへの喪失感が繰り返し描かれる。
「母親の愛」とはつまり見返りを求めない、ただ自分を包んでくれる存在ということだろう。
これって監督の胎内回帰願望なのかしら。


実はこの張作驥監督、脚本家の女性をレイプしたとして起訴されて、裁判中にこの作品を撮った(すごい精神力だ)。
しかし完成後に刑が確定し、この6月の台北映画祭で六部門を受賞したにも関わらず服役中で監督不在という異様な授賞式となった。
本人は無罪を主張していたらしい(物的証拠があるレイプの無罪というのはつまり合意のもとで、っていう主張なのだろう)。
で、映画を観た後にこれらの事を知って思ったのは、正直、胎内回帰したいなら映画の中だけにしてくれよ、ってことである(笑)


映画の舞台は公館にある「寶藏嚴」という寺の脇にある集合住宅で、候孝賢(ホウ・シャウシェン)監督の映画のロケ地としても有名だ。

太平洋戦争後、台湾の各地に国民党と一緒に中国から渡ってきた人々による違法建築の住宅群が建てられて、それらは「眷村」と呼ばれた。
この「寶藏嚴」もそんな「眷村」的違法建築群のひとつで、日本統治時代には弾薬庫だった場所だ。日本が戦争に負けて台湾を去ったのちに、国民党軍の下級兵士やその家族が住み着いて増築を繰り返した。
戒厳令時代が終わって中国と台湾の外交が再開するまで、30年以上も故郷に帰れなかった人々の想いの気配は今も色濃く、わずかに残る住人の洗濯物が過去と現在の間をはためいているような、台北の歴史のエアポケットである。
取り壊される瀬戸際だったが、歴史的価値が注目されて保存運動が起こり、芸術村として生まれ変わった。今は台北市管轄の史跡で、アーティスト・イン・レジデンスとして各国から若い芸術家が集まる。

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