2015年8月12日水曜日

台北のY字路⑬(師大路)




きょうのY字路。

師大夜市で有名な師大路の、真ん中に見える「師大公園」。
別名を「撿屍公園」とも呼ぶらしい。
撿屍体」というのは、悪い外人(とは限らないかも)が女の子に酒を飲ませて前後不覚にさせてからチョメチョメしちゃうという意味のクラブ用語だ。
いわゆる「マグロ」ってやつですね。しかも「まな板の上のマグロ」。
「死体拾い」なんて、上手いこと言いよるなと思いましたけれど。


戦後、師大商圏の龍泉街付近には違法のバラックが建てられ露天商が立ち並んでいたという(師大公園前にあるボロボロのバラックの錠前屋なんかは当時の名残なんでしょう)。
それが大きく整理されて作られたのが、現在の師大路および師大公園だ。
そもそもこの一帯は、昔から文化の香り濃い「城南区」(かつての台北城の南側にあたり、台湾大学や師大があることから多くの作家や学者、文化人が暮らしてきた)の中心である。
2007年ごろから衣服やアクセサリーの露店商が多く集まるようになり、作家の韓良露(過去のエントリー「永遠になつかしい〜韓良露さんのこと」参照)はここを「南村落」と名付け、台北の飲食文化や生活スタイルのリーダー格的な場所として打ち出す。
しかしこれが、旅行番組や雑誌で「台北の美食とファッションの一大メッカ」として取り上げられ多くの観光客を惹き付けた結果、深夜まで外国人が馬鹿騒ぎする飲食店が増え、不衛生になって、街の環境悪化に繋がった。それが冒頭の「検屍公園」といわれるまでの事態に発展していく。

その酷さは、朝方に師大夜市付近を歩いたことが有る人ならわかると思う。
腐った食べ物とゲロと尿と下水の入り混じったにおい。
東京の麻布十番に暮らしていた頃「十番祭り」の翌日の街は決まってそんなにおいだったが、それが一年365日毎日続くとすれば、逃げ出したくもなるというものだ。
しかも、折しも台北の土地の価格が二倍三倍とウナギ登りに上昇していた時期で、環境のせいで土地の値段も上がらないとなれば、住民にすれば忸怩たる思いだろう。
ついに、2011年から付近の三地区の合同組織が作られ、違法な店や衛生悪化の原因となる飲食店の排斥を掲げて住民運動が巻き起こり、政府も介入する騒ぎとなった。


師大路の名前のもとになった台湾国立師範大学は、日本時代は「旧制台北高等学校」といい、元総統の李登輝氏も通った学校だ。当時の街の呼び名は「古亭町」。
1930年の地図を見ると、学校をぐるりと囲む疎水がY字路のちょうど先あたりに来ているのがわかる。


現在の師範大学には美術・音楽学部も設けられており、師大デザイン系の研究室が経営する「青田十六」は日本時代の木造建築をリノベーションしたギャラリースペースで、川島小鳥さんや「みさおとふくまる」の台湾初の個展も行われた。
政治的駆け引きの上手さから「王金平最強伝説」とも呼ばれる(というか勝手に呼んでる)与党の大物政治家・王金平氏もここ師範大学の出身だ。


さて、住民運動に話は戻る。
その後三地区合同組織のなかで内輪もめが勃発し、更には政治的汚職にも飛び火したことから組織は解散、おかげで師大夜市も存続する運びとなって、今にいたる。
それでも随分様相は変わったが、名茶館「小慢」に代表される美学を持った面白い店が現在も巷子の中にひっそりと営業をつづけ、故・韓良露さんの「南村落」の夢をいまに伝えているのは幸いだ。


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