2015年8月6日木曜日

台北のY字路⑩(赤峰街)



きょうのY字路。
台北のはじまりである淡水河流域の「艋舺(モンガ・現在の萬華区)」に続いて水運により発展した大稻埕」エリアの中にある中山・赤峰街。情緒あるレリーフやタイルの埋め込まれたコロニアル洋式建築の機械部品問屋・修理工場が立ち並ぶなかに、ポツポツと感じのよいカフェやギャラリーが顔を覗かせて、最近はお洒落スポットとして注目を集めている。
その裏手には、思ったとおり良いY字路があった。例によって屋上に増築された赤と緑のプレハブと、洗濯物の対照がポップさを醸し出している。
写真右手の道路は、承徳路二段37巷。

                 1928年の職業別地図



1903年の地図


1928年の地図では現在とは無関係に道路が走っているように見えるけれど、それより以前の1903年の地図をみれば、現在の中山地下街R8出口あたりにあった池だか沼だかの水源から淡水川に流れ出る川の存在が、確実に現在のY字路に影響している不思議。
建成公園も、北側および西側の端と1,903年時の川の形が重なる。

この付近、日本統治時代は下奎府町(しもけいふちょう)と呼ばれ、現在の萬全街・歸綏街・太原路・承德路あたりが含まれた。下奎府町という名は、元々この地に住んでいた原住民・平埔族の部落名から取られた。部族名を「巴賽族」といい、アジアのフィールドワークで大きな功績を残した人類学者・鳥居龍蔵の撮影した巴賽族」の当時の写真も残されている。
巴賽族」は時代とともに漢化が進み、20世紀はじめに絶滅したという。






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