2015年9月1日火曜日

台北のY字路⑮(連雲街)~民国64年の地図









きょうのY字路。

有名な鼎泰豊(ディンタイフォン)本店があるので観光客でも一度は行ったことのある永康街の、信義路を挟んだ反対側に入っていったあたり。
日本時代前には「頭埤」、日本時代に入って永康街も含めた一帯が「東門町」と名付けられた。

戦後になり、中華民国が台北に臨時政府を置いて、町名が全面的に改定される。
命名は基本的に、台北を四つのエリアにわけ、それぞれに中国大陸の地名を同じ位置関係のまま縮小して当てはめる方式。
(上海から来た建築士・鄭定邦の編み出した方法で上海でも採用されている ※1)

台湾で生まれた子供たちが、中国大陸に行っても地理関係で迷うことがないように。当時の中華民国政府の「いつか帰る」って意思が強く感じられて興味深いですね。

ちなみに当時といっても、民国64年(1975年昭和50年)作成の中華民国の地図だが、首都は南京でモンゴルまで領土に入っている。
そんな地図を使って学校で子どもたちに「我が国の地図だ」って教えてたわけだ、この小さな島で(今も建前上はそうなのか?)。


それ、わたしの台湾人夫が高校生ぐらいまで、つまりほんの25年ぐらい前まで台湾の学校で行われていた普通の教育だったというのが、今の自由にあふれた台湾のパッと見からは俄に信じられないような、ホントの話。

ちなみに、この写真の道路名はそれぞれ

連雲街:江蘇省連雲
臨沂街:山東省臨沂

から来ている。
1930年代の地図を見ると、ここも例によって水路の広がりに沿って出来たY字路。





※1  http://site.douban.com/123095/widget/forum/4422719/discussion/40913707/







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