2015年10月11日日曜日

【邦画】日本映画「あん」~「戀戀銅鑼燒」



河瀨直美監督と永瀬正敏さんが映画「あん」のプロモーションの為に来台され、メディア取材に紛れ込んだ。

さて。
河瀨監督の現場には「スタート/カット」が無いらしい。
俳優さんがその役になりきって人生を送っている、その一部を切り取って映画にするのがスタイルだという。

だから一年ほどのあいだ日本の四季を追いながら「あん」が撮られていた頃、永瀬さんは「千太郎」として生きていたし樹木希林さんも「徳江」として生きていて、実際そのどら焼き屋さんも存在して街の人が買いにくることもあったというのは、映画を観ていると自然に頷ける。

涙があふれたのは、樹木希林さん演じる徳江さんが、ちょっと素っ頓狂で変な行動を取るおばさんだなあって最初は思うのだけど、見ているうちにそれが移ろう四季への慈しみなんだとわかったときだった。
その部分の演出について質問したとき、監督から返ってきた回答が面白い。

監督のママ友で、学校の先生をしているお友達が「あん」を観た後に泣きながら語ったらしい。
一見変わったオバサンが「食べてください」とアンコを持って来た時に、「危ないから食べずに捨てろ」というのが自分が与えるべき教育なのが現状だけれど、それで棄ててしまえば、この映画のように誰かが救われる物語は存在しなくなってしまう、という話だ。

だけれど今の世のなか、危なっかしいことが多いことも事実だし。
毒盛られるとか。
実際ワタシだって絶対、子供にそういうふうに教えているし。でも同時に、「人の気持ちになって考えろ」とも教えている。
すごい矛盾だよね。
河瀨監督の映画に、もし共感できないとしても目をそむけることが出来ないのはそこにあるんだろう。
「棄てる」ということは実は、今の日本がいちばん直面している問題だ。
その問題とは
膨れ上がる高齢層
貧困層の若者
放射能に汚染された地域の方々
の話である。
かつて「棄てられた」ハンセン氏病は克服された病気にも関わらず、元患者の方たちは今もこれだけの偏見と差別のなかにある。
これからの「棄てられる」ものにわたし達はどういう風に関わっていくのか、それは「あん」に込められたもうひとつの物語でもあると思う。
監督が分厚い靴下にサボという出で立ちだったんで、「あっ!冷え取りの人だ」と思って取材後に聞いたら「四枚重ねです」とのことだった(笑)
奈良出身の監督と関西弁で「冷えとり」について喋ってたら、何だかすごく昔から知ってる人な気がした。
そうだ、18歳のときに「につつまれて」「かたつもり」を奈良かどこかの映画館へ観に行って感銘を受けて、思えばそれが河瀨監督との出会いで。
アレから20餘年。
監督とツーショット撮って貰ったのだけれど、緊張で顔が異様に引きつっていました。

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