2016年3月25日金曜日

【台湾映画】只要我長大 ~ただ大きくなるっていうのも、なかなか大変なのだ。



往々にして、大人が与えたいものと子供が欲しいものとは違う。
じぶんが子供をもってつくづく痛感するのは、親の仕事は子供が「独り立ち」するのを手伝うということでしかないが、一見単純にみえるそんなことが、なかなか難しい。親としての欲得とか思い込みとかメンツが入り交じる。タイミングを間違える。ただ抱きしめれば良い時に、有機野菜を使ったスープとか作ってて忙しいみたいな。


とある奉仕団体の活動で、貧困家庭の子供と一緒に食事をする場面に居合わせたことがあるが、どこのテーブルでも子供の箸はそう進まず、大量に料理がのこった。大人はみんな不満そうな顔をしていた(せっかく腹いっぱい食べられる機会なのに、とでも言いたげな)。
子供からすれば、丸テーブルで囲む野菜たくさんの伝統的で地味な色合いの台湾料理は真っ平で、ケンタッキーやモスバーガーのほうが喜んだのかもしれない。
いまどき、明日の食べるものにも困るというような貧困家庭は全く無いとは言わないが、それよりも問題はもっと複雑なんだなあと映画を観ながら考えた。

映画の舞台になるのは、美しい山間の台湾原住民タイヤル族の部落である。
風光明媚な場所だが仕事はすくなく、街に働きに出るか、部落に残って農作物を育てるのが主な収入源だ。台湾の原住民部落は大抵、山の中にあって災害も多く、生活が大変な地域が少なくない。主人公である3人の子どもたちは、そんな環境のなか、たくましく暮らしている。

ひとりは両親がおらず、祖母と暮らしている。最近都会から兄がかえってきた。
ひとりの父親はバンドマンだが、酒乱でいつも問題を起こしている。
ひとりは父親と暮らし、母親は離婚して台北にいるらしい。

福祉団体から送られてくるモノが古いパソコンなので不満だったり、台北の母親から送られてくる洋服のサイズが小さかったりと、子供の欲しいものと与えられるものとの齟齬が要所要所で描かれる。これは、大きくみれば政府の原住民や低収入層への政策にそのまま当てはまるのかもしれない。

親はなくとも子は育つ、という言葉がある。
下半身の不自由な先生を想う子供たちの心は純粋で優しいが、そのまま大きくなればいずれは犯罪に手を染めることに成るかもしれない危惧も用意されたラストシーンは、「ただただ大きくなりたい」というタイトルについて深く考えさせられる。

新竹の山奥には、部族としてプライドを取り戻し規律を守って昔ながらの生活を送る、日本の「ヤマギシ」みたいなコミューンを作って成功している部落の例もあり
(「司馬庫斯部落」 https://www.youtube.com/watch?v=FU8Xds5xXwo
一つのロールモデルとなり得るかもしれないが、これも上からの押し付けではなく自分たちで決めて実行することでなければ意味が無い。



いま世界的に肥満や糖尿病が問題になっているのは、特に貧困層に多いという。ひとつのリンゴを買うよりも、ハンバーガーを買うほうがずっと安上がりだからだ。
数年前、日本の某女性政治家が「ホームレスが糖尿病になるぐらいだから生活保護予算はカットするべき」という趣旨のものすごく的外れな発言をしてネット世論の怒りをかっていたが、それぞれのケースに見合った政策を考えて行かなければいけないというのは、どこの国もが直面している問題なのかも知れない。


※(追記)
このブログを書いた翌日に、蔡英文新総統のこんな政策発表が。タイムリー。
http://mobile.n.yam.com/m/news.php?id=20160323621937

要約すると、四月以降は以下三つのことに重点を置いた原住民部落政策を実行するとのこと
・部落の自然環境の保護
・部落をささえる産業の発展
・それぞれの族語教育の強化

「元々この土地の主人である原住民に対する政策は、何を置いても優先されるべき事柄」









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