2016年3月9日水曜日

映画「 The Revenant  蘇えりし者」(ネタバレ注意)


デビュー作「アモーレス・ぺロス」の音声解説で語られたらしい監督自身によるコメント
「人は失ったもので形成される。人生は失うことの連続だ。失うことでなりたかった自分になるのではなく、本当の自分になれるのだ。」
との言葉通り、「バベル」で言葉や気持ちの繋がりを失った人々を描き、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」では栄光を失った元・スーパースターを題材にとりあげたイニャリトゥ監督が今回描く「失ったもの」はズバリ「息子」である。

レオナルド・ディカプリオ演じるヒュー・グラスは、実際に1800年前後アメリカに実在した伝説的な猟師であるという。この映画も彼についての伝記小説をもとに描かかれているが、ヒュー・グラスがアメリカ先住民との間に出来た子供を殺されたという記述は今のところ見当たらない。


(実在したヒュー・グラスの似顔絵)


ということは、監督はわざわざグラスを「息子を失った父親」に仕立て上げたということだ。
イニャリトゥ監督は実際にじぶんの息子さんを亡くされており、デビュー作の「アモーレス・ぺロス」もその息子さんに捧げられた作品だという。

今回の「 The Revenant 」ではより具体的に「息子を失った父親の悲しみ」を入り口に、「失われていく先住民の文化や大地」について共感を深めていく作品となっている。
監督自身がメキシコ出身ということで、民族の文化や先住民族対白人の歴史について考える機会も多かったのかもしれない。この映画を観ているとと自然に世界の至るところで起こってきた「剥奪の歴史」に思いを致さずにはおられない。

わたしの場合、重ね合わせたのは台湾原住民の来し方である。
大航海時代の台湾はスペインやオランダの植民地だった。嘉義のあたりを中心に鹿皮の貿易がさかんに行われていたことも、先日、故宮南院の取材で嘉義に行ったときに知った。また映画「セデック・バレ」の中で、日本政府に協力する原住民部族と反抗する原住民部族とが争いあったエピソードも思い出す。
だから、先住民のひとりが「わたしは野蛮人」と書かれたフダを着けられ吊るされているシーンを観て「どっちが野蛮やねん」とおもわずツッコんだのは私だけではないはずだ。

圧巻は、ヒュー・グラスの伝説を不動のものにした、グリズリー(灰色熊)との格闘シーンだろう。もうこれは滅茶苦茶にこわい。
子供を守ろうとする母親熊から、ぶん殴られ、ひっくり返され、肉を噛み破られるその迫力はもうエゲツナイぐらい凄まじいの一言だけれど、あまりにも凄みがあるので、かえってこれは人生における「性愛」のメタファーなんじゃないかと思った。
アン・リー監督が「ラスト・コーション」の中で、男女の性愛をメタファーにして国家のパワーゲームを描いた、その逆バージョンみたいな感じ。

それにしても、熊との格闘以降のその「蘇り」っぷりが凄まじくて、もう本当にむちゃくちゃ痛々しいので観ながら「レオ様ほんとうにほんとうに、オスカーとれておめでとうううううううう!!!」
と喜びが沸き上がってくる。
痛くて、苦しくて、悲しくて、虚しくて、でもちょっと嬉しい映画なんである。





















0 件のコメント:

コメントを投稿