2016年5月2日月曜日

【香港映画】暗色天堂~それぞれの羅生門





「ひとつの出来事について各々が違う角度から語るが、真相は全く別の姿をしていた」。
そのような作品を語る時に,よく使われる中国語が「羅生門」である。
言わずと知れた芥川龍之介の小説で黒澤明監督が映画化したものだが、この後者の映画版の表現手法を指して、中国語でそのまま「羅生門」と呼ぶようになった。
おそらく英語の「The RASHOMON effect」=現実の法廷において目撃証言が食い違うことから翻訳されたのだろうが、「羅生門」が生まれたご当地・日本において、殆どその意味が浸透していないのは興味深くもある。

さてこの「暗色天堂」も、「法吻」という舞台劇を映画化した「羅生門」な状況を描いた作品だ。

林嘉欣(カリーナ・ラム)が秘書として付いた社会起業家の張學友(ジャッキー・チュン)は、教会「真言堂」の牧師としても有名である。教会へ通うようになった林嘉欣と張學友は段々と親密さを増していくが、ある夜、泥酔した二人が交わした「フレンチ・キス」が原因で、林嘉欣は張學友をセクハラの罪で訴える。裁判でもふたりの意見は食い違うが、敗訴した張學友は、社会的地位・仕事・栄誉のすべてを失う。
五年後、とある教会のパーティーで二人は再会した。酔っていて事件当時の記憶がないため、どうして自分が訴えられたのかわからない、自分たちは両思いではなかったのかと林嘉欣をせめる張學友。
そこから、法廷では明らかにされなかった衝撃的な真相が明らかになり、「最後の審判」が張學友に訪れる。
(観客もそれまでの「たかがキスぐらいでよお」とカリーナにイライラしていた気持ちが吹き飛ぶ)


事件がもとで神の存在を信じられなくなった張學友が、事の真相を聞いて庭のプールに飛び込むラストシーンは新たな「洗礼」を思わせる。
キリスト教世界において、「洗礼」のあとには「大きな罪の告白」をし懺悔して「ゆるし」を得ることが必須とされているからだが、張學友に救いは訪れるだろうか?

全編を通して聖書の言葉や「神」の存在が繰り返し語られるが、牧師である張學友が「イエス・キリストの血」=赤ワインをがぶ飲みした故に身の破滅を招いたり、「洗礼」を意味する白い服をワインで汚したりする皮肉も効いているこの作品は、「宗教で人は救われない」という身も蓋もない痛烈なキリスト教批判と取ることも出来る。
今年のアカデミー賞で作品賞&脚本賞を受賞した「スポットライト」で、聖職者による児童への猥褻行為が日常化している事件が描かれたように、「懺悔」をすればゆるしが得られるという教えを持つキリスト教会は、「自己と向き合わない」ための欺瞞的なシステムと成り下がっている場合もまま有るようだ(全ての教会がそうだとは言わない)。

李安の「ライフ・オブ・パイ~/トラと漂流した227日」に描かれた「物語こそが人を救う」というテーマが「宗教」というものの土台になっていると思うのだが、人それぞれ、物語の語り方が違うからこそ「羅生門」は起きる。
逆にいえば、語り方が違うからこそ、聖書や仏典という共通のものが必要とされるのだろう。

人は時として自分を救うために、自分に都合のいい物語を作り上げる。
それが本当の救いとなるのか、更なる地獄を呼ぶのか、それは誰にもわからない。

それにしても、「百日告別」ではじぶんの足でじぶんだけの「救い」を探し求めたカリーナ・ラムが、「暗色天堂」では狂信的なキリスト教徒となって信仰に「救い」を求める。
この全く正反対の役柄をこなしたところにカリーナの女優としての幅の広さを感じるし、そういう目で見比べてみるのも面白い。


■暗色天堂
監督・脚本/袁劍偉
2016/香港映画







 

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