2016年8月27日土曜日

【香港映画】十年 Ten years~ 10個の十年、100個の十年




台北で暮らしはじめて、今年でちょうど丸10年がたつ。

10年という時間は途方も無く長い訳ではないが、かといってすごく短くもない。
わたしの場合も、そのあいだに色んなことがあった。
仕事をやめ、結婚して台北に来た。舅が亡くなった。台北から東京に引っ越して2年ほど暮らし、また戻ってきた。姑としばらく暮らし、その後離れて暮らすことになった。父が亡くなった。書く仕事をはじめた。いろんな出会いと別れがあった。その間に生まれた息子の背丈は、今やもうわたしの三分の二を越してしまった。
四柱推命では9年で人生の春夏秋冬が一周するというから、10年という期間のあいだにはちょうどシーズン一回分が含まれる計算だ。


台湾社会だって、10年前に来た時からみるとずいぶん変わった。政治で言えば、わたしがきた頃はちょうど陳水扁への抗議運動が盛り上がっていた時期で、その後、馬英九政権に変わってからは、何となく今後もう20年ぐらい国民党政権は不動なのじゃないかって印象だった。今年の民進党圧勝、小英総統誕生なんて10年前には予想だに出来なかったのだ。
10年という時間はそれぐらい、ひとの人生や社会に大きな変化をもたらすに充分な時間ってことだろう。


映画「十年」は2015年に製作された5篇からなるオムニバス映画で、ちょうど10年後の「2025年」に香港社会がどんな風になっているか、「悲観的観測」で描いた作品だ。
雨傘革命や書店主行方不明事件など、香港人が抱える「中国の脅威への不安」を社会背景に、香港の人権・民主・言論の自由など敏感なイシューを扱っており、昨年の香港映画祭では最優秀作品賞を受賞した。また、実験映画的な手法の作品としては異例の興行成績をあげており、香港の「予言書」的作品として話題となっている。

「五個的香港故事、我們不想見到的将来。」
(ぼくたちの見たくない未来のこと、5つの香港の物語)

そんなキャッチコピーのとおり、どのお話にも悲壮感が漂う。

■「浮瓜」

@映画「十年」より

やくざの下っ端である香港人の男二人(ひとりはインド系)が、政治系の地域のイベントに臨席する政治家2人へのテロを命令される。目的は「テロ事件を起こすことで社会不安を煽り、中国当局による国家安全法の制定をうながす」こと。
会場の上階では、やくざのボス・中国・香港当局の上層部のあいだで「どちらを殺せば、より社会不安が大きくなるか」が討論され、結局、両方を殺すことに決まる。
成功報酬を手にして人生を変えたいと願う男ふたりは計画を実行にうつすが、失敗してその場で射殺される。政治家二名は生きながらえたにも関わらず、メディアでこの事件は大きく報道され、社会的にテロへの不安が高まったことで、国家安全法は無事通過するだのった。
上層部はみずから手を汚すこと無く、底辺に生きる人間が政治に利用されトカゲの尻尾のように切り捨てられる。


■「冬蝉」

@映画「十年」より

世界の急速な発展と変化によって、博物学はその意義を失っていっている。
二人の男女は、失われていく香港の古い建築物の残骸を集めて標本を作っているが、今やその社会的にもつ意味はなく記憶とも断絶されている。標本を収める施設もない。いわば、自宅の棚という「墓」のなかに「標本」という遺体を安置するかのような生活に疲れた二人は、香港人である自らを標本化することを思いつく。



■方言
@映画「十年」より

2025年の香港では、唯一の公用語が「普通語(北京官話)」と定められている。タクシー運転手には「普通語能力テスト」が行われ、通過できなかった運転手の車には「普通語話せません」マークが表示されて、空港や港で客を載せると違法となる。
学ぶ意欲はあるが、どうしても普通語を身につける事ができない主人公のタクシー運転手。子供は学校で使うので普通語はマスターしており、その友人たちとの会話を主人公は聞き取ることができない。そして、広東語がただの「方言」のひとつと成り下がってしまったと同時に、経済的なだけでない、多くのものを失ったことに気づくのだった。
ところで、この作品を観ていて「台湾語」→「日本語」→「北京語」という、公用語の移り変わりに翻弄されてきた台湾人の労苦にも思い到った。




■自焚者
@映画「十年」より


香港独立を求める学生運動が盛り上がりを見せ、ひとりのリーダーが逮捕されて牢獄でハンストにより絶命する。映画の中で描かれる学生運動(2025年)とそれを阻む警察との攻防がほうふつとさせるのは、まさに2014年の雨傘革命そのものである。
さて、牢獄で死んだリーダーを支持して、英国領事館前で何者かの焼身自殺があった。1984年の中英交渉では、社会主義政策を2047年まで(返還から50年間)は香港で実施しないことをイギリスは中国に約束させたはずだった。それが、わずか20年足らずで行政自治に対する干渉が始まったことを指して、イギリスの責任放棄に対する抗議の自殺と思われる。
さて、焼身自殺したのは誰だったのか。
それはひとりの老婆だった。誰も観ていない英国領事館前で、ひっそりと静かにガソリンをかぶり燃えていく老婆。若かりし頃は「東洋の真珠」と呼ばれ輝いてきた第二次世界大戦後の香港を生き、その後、返還と天安門を経てきた。
今や年老いた老婆の姿はまさしく「香港」と重なる。手にしているのは香港の学生運動の象徴となった「雨傘」だが、これも老婆とともに燃え尽きていく。



■本地蛋(地元産たまご)

@映画「十年」より


政治問題の影で、香港で最後の卵を生産する農家が農場を閉じた。
もうこれから「香港産」の卵が生まれることはなくなった(卵=香港人のメタファーだろうか)。卵を扱う食品店の主人公は、その最後の卵をうけとる。
一方、息子の通う学校ではボーイスカウトへの参加が義務付けられており、その活動は街の商店などに「香港」「本地」(地元の意)などの文字がないか検閲してまわるという、かつての紅衛兵を思わせるような内容である。
息子の考え方を図りあぐねていた主人公だが、ある日息子がこっそり入り浸っている秘密の書店に連れらていく。それは「ドラえもん」さえも発禁処分となっている社会から、密かに発禁処分されたものを集めてコレクションしているアングラ書店だった。
息子は、やっぱり主人公にとって最後の「地元産たまご」なのだ。
さて、主人公が農場を尋ねたさい、農場主が「これからは台湾に渡って、今までのノウハウで農場を経営するんだ」というくだりがある。そこから、香港から台湾へと託された希望みたいなものが透けてみえる。


香港人ひとりひとりが無限に抱える「10年後」の物語が、香港という街の上に大きな蚊柱のように立っている。その一部をとり出して、映画は
「このままでいいのかい?」
と語りかける。


たまにフト
「結婚して台北に来ることを選んでいなかったら、今ごろどうしてたかな。」
と考える。
なんにせよ今とは全く異なる生活を送っていることは、間違いない。もしかしたらパラレルな世界では、10年前に持っていた夢みたいなものを、実現させているわたしが居るかもしれない。映画「インターステラー」の無数のブロックモニターのように、パラレルに無限に広がっていく未来と過去。
そんな想像は面白いが、わたしは今の生活が結構気に入っているから、今ここに居れてよかったなとも思う。

「リアルとはみんなで観る夢」
といったのはダムタイプの古橋悌二さんだけれども、さて、10年後香港はどんな夢をみているだろうか?


「十年 Ten years」/監督:郭臻・黃飛鵬・歐文傑・周冠威・伍嘉良
2015年/香港






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