2016年8月18日木曜日

【映画】ズートピアZOOTPIA~ ラベル貼りという底なし沼(※ネタバレあり)


去年の「インサイド・ヘッド」に引き続き、ジョン・ラセター総指揮で今年もスンバラシイ作品を観ることができた
(ちなみに、最新の『ファインディング・ドリー』は、期待も大きかっただけに拍子抜けするぐらいちょっと残念な出来だった。面白くない訳ではないんだけど、何だろうあのエッジの効いてない感じは)



舞台は、肉食系・草食系にかかわらずすべての動物たちが平和に暮らす「ズートピア」。
正義感と夢に燃える警察官でウサギの女の子・ジュディが、ズル賢く世の中を斜めに見ているキツネのニックを巻き込んで、連続失踪事件を解決する。

一時は「肉食系動物」のみが何らかの原因で凶暴化する、という結論に達した「ジュディ」だが、同じくパートナーとなった肉食系動物でキツネのニックからその心にひそむ欺瞞(表面的には友人のようなふりをしながら、じつは心の奥底に差別を隠し持っている)を指摘される。これをきっかけとして、もう一度事件を振りだしに戻し、ついに真実にたどり着いたジュディーは、ニックに仲直りして一緒に警官のパートナーとなってほしいと頼むのだった。

丸腰の黒人男性を警官が撃つという事件が立て続けに起こったことから、最近国際的にもとみに注目されている黒人差別の問題や、イスラム教徒に対する差別、セクシャリティーの問題など、多様な人びとが暮らす国家・アメリカがあわせ持つ非常に根の深い「差別」について非常によく考えられた、アメリカだからこそ生まれ得たこの作品は、アメリカ社会だけに限らず、いろんな社会における「ラベル貼り」という現象について、深く考えるきっかけを与えてくれる。



この「ラベル貼り」ということで、わたしがこの映画を観たあとに思い出したのは、今年2016年の3月に台湾で発生した通り魔事件(いわゆる『小燈泡ちゃん事件』)被害者のお母さん「クレアさん」のことだった。
事件が起こったのは、台北郊外のIT企業などが集まるベッドタウン・内湖である。覚せい剤使用で服役したことのある王景玉が通りすがりの四歳の少女「小燈泡ちゃん」の首を菜切り包丁で、しかも母親の目の前で刎ねるという世にも凄惨な事件で、台湾史上三番目の通り魔事件となり、被害者は最年少であった。
(ちなみに一番目は2014年の台北MRTの車上で4人が死亡、24人が怪我を負った連続通り魔事件、二番目は2015年の小学校のトイレに隠れていた男に女の子が首を切りつけられて死亡した『文化国小通り魔事件』)

路上で小さな女の子が首をはねられた。
これだけでも物凄くショッキングな事件で、世間は騒然となった。なにせ、日本と違って最近まで「通り魔」事件のような精神異常に関わる犯罪とは割りと無縁だった台湾社会で、こう悲惨な事件がまたもや起きてしまったのだ。ネットやニュースは人びとの悲鳴にも近いようなショックの言葉で溢れかえり、誰もが「一刻もはやく犯人を死刑に」と叫んでいた。
その夜、台湾社会に激震がはしった。
被害者家族のクレアさん(小燈泡ちゃんのお母さん)がテレビカメラの前に出て、涙を流しながらも気丈に「犯人をこんな凶行に駆り立てた社会にこそ問題がある、二度とこんな事の起こらない安心な社会を作って欲しい」と政府に訴えたのである。

この映像を観た時のショックはうまく言葉で表せない。
世の中すごい人がいるものだなあという、呆然とした。もしわたしが彼女の立場になっていたら、恐らく半狂乱(っていうか完全に気が狂うかも)となりテレビで何か喋ることなんて不可能だろう。
多くの人びとがそう思ったし、この時点では彼女の勇気に賞賛の声を送り讃えた。
すでに時期大統領に選出されていた蔡英文は自身のFBに「被害者と被害者家族にお詫びし、改めて未来の台湾社会で二度とこのような事が起こらないよう約束する」との記事を投稿した。
しかし、これだけでは収まらなかった。

この事件をきっかけに湧き上がった「反・死刑廃止」運動をみたクレアさんが、今度は自身のFBで
「小燈泡は死んで、たとえ加害者が死刑に伏したとしても戻ってこない。
それよりも、一体なにが起こったのか、何が彼をそうさせたのかという真実を知りたい。小燈泡の死を利用するのはやめてほしい。私は小燈泡ではないし、あなたも小燈泡ではない。誰も小燈泡の気持ちを代表して何かいうことは出来ない」
という、「死刑廃止」支持とも取れる訴えを目にして世間の反応はおおきく変わった。

「反・死刑廃止」の人びと、つまり世の中の主流・保守と言われる非常に一般的な人びとが、それまで向けていた同情を今度は言葉の刀に持ち替えて、クレアさんを突き刺し始めたのだった。
そこで立ち現れたのは、被害者家族、とくに被害者の母親と言うものは
「悲しみで半狂乱になって家の中に閉じこもり沈黙するべきである」
というような、「決めつけ」という目に見えない暴力である。
娘さんを目の前で亡くした母親「らしからぬ態度」のクレアさんに対して、多くの人びとが呪いの言葉をはいた。国民党のとある議員に至っては、彼女のこの発言を「調査・研究に値する被害者家族としての精神的疾病」と病気扱いした。
「本物の暴力」と同じぐらいに、「多くの人にとって怖ろしいのは、自分たちがこうするべき、こうあるべきということが覆されることである」のを、これら一連の出来事はまざまざと描きだしたのだった。

「黒人だから危ないはず」というラベル貼りで、アメリカ社会の中では日々黒人の人々が実際に死んでいる、もしくは何らかの機会を奪われ続けている。そして、それが確実に黒人の子どもたちを暴力や犯罪へと繋げていることは、幾つもの研究などから疑いようのない事実だ。
ズートピアの中でも、小さく正義の理想に燃えてボーイスカウトに参加していたニックが、「キツネはずるい」という決め付けのもと村八分にされて、そのままヒネクれてついには詐欺を働いて口を糊する悪い大人になる、という成長の経緯がはっきりと盛り込まれている。
純粋な小さい子供が成長していくにつれて、負の方へと引きずり込まれていく、そのセーフティーネットをどう作れば、きちんと社会の中で機能するのか。
もうひとつ、この数年どうして台湾でこういう凶悪な事件が起こるようになったのか。
少なくとも、その答えを内包するひとつのケース「MRT通り魔事件」の加害者については、クレアさんの危惧した通り、色んな背景なども明らかにされないまま、つい先日死刑が執行されてその解明は永遠に不可能となった。


このエントリーは「死刑」を存続するべきか、「死刑廃止」するべきかを問うものではない。

もちろん自分の子供が殺されたら、犯人はこの手で八つ裂きにしてやりたいと思うだろう。だからといって「死刑廃止論者」を責める常套文句である「自分の家族が殺されてみろ」という事に、やっぱり簡単に与することも出来ない。
どんな人であれ他人の人権も保証されているからこそ、自分や家族の人権も保障されるのだ。自分の子供が殺されていないうちは、同情から「もし殺されたら」という仮定の立場に立つべきでは無いと思う。
が、ニュースの中で加害者のふざけているとしか思えないような発言(自分が精神異常だから刑を軽くしてほしいというような)を聞くと胸が悪くなり、早く極刑をという気分にもなる。簡単に割り切られる問題ではないのは確かだ。


それにしても「死刑」という、臭いものに蓋をし目の前から消えた時点でそこに生じていた問題を見なかったことにし先送りする、それが愛娘の死に繋がったと看破し、すぐさまそれを社会に訴えたクレアさんのように、わたしは100遍生まれ変わったとて成れそうもない。
しかし同時に、人間の知性というものは、こんなにも高潔に気高く居られるのだ、ということを思い知らされた気がした。
クレアさんの登場と共に報道されたのは、彼女がアメリカで非常に高い教育を受けた高学歴者ということだった。沢山の人が「やっぱり学歴が高い=違うなあ」てな事を思っただろうけれど、それが明確にしたのは「学歴が高い=頭がいい」ということではない。
むしろ、大学など高等教育において学生が「歴史」「哲学」「芸術」を通じて本来なら学び得る「知性」「智慧」というものへの信頼、これが「高等教育」というものにおける最も純粋な意義であると改めて示してくれたのがクレアさんという存在だったと思う。
小燈泡ちゃんのご冥福と、クレアさんとご家族にはやく平穏な日々が訪れることを、心から願っている。



ところで「ズートピア」へ話をもどす。
共同監督のひとり、「塔の上のラプンツェル」のバイロン・ハワード監督は、早い時期からゲイとしてカミング・アウトしており、同性婚もしている(しかも日本・青森の生まれらしい、関係ないけど)
だからという訳ではないが、受付のおデブのチーター「クロウハウザー」の造型のイキイキとした感じや、ラベル貼りについての考察など、ふかみのあるうキャラクター造型や脚本は、セクシャリティーに関して得てきた「生」の苦悩に裏づけられているのだろうか。ラプンツェルも見なくちゃ。
と、ここまで書きながら、やはりこういう「ゲイであることと創作の関係があるはず」というのも一つの「ラベル貼り」なのだと思い当たるわけで、全くこの「ラベル貼り」というものは底がない。

蛇足ながら、見ながら「じゃあ肉食動物は何を食べてんだ?」という疑問に、ここのサイトでバイロン監督が答えていた。

https://sgs109.com/n/1588

なるほど、昆虫か~昆虫は食べていいんだな。
この辺りの整合性も考え始めると、まあこれも「底なし沼」なんだけども。




ズートピア ZOOTOPIA/ 2016年
監督:バイロン・ハワード、リッチ・ムーア
製作総指揮:ジョン・ラセター

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