2016年10月26日水曜日

【台湾ドキュメンタリー映画】四十年 ODE TO TIME~ロックヒーローはどうして27歳で死ぬのか?



ジミ・ヘンドリックス。ジャニス・ジョプリン。ブライアン・ジョーンズ。
ロバート・ジョンソン。ジム・モリソン。カート・コバーン。
最近では、エイミー・ワインハウス。

これらの人に共通の事柄があるが、なにかお分かりだろうか?
皆さんミュージシャンで27歳ぐらいで死んだのちに伝説となった、ということである。あんまりにも27歳前後でしぬロックスターが多いので、「悪魔と契約を交わした27クラブ」とかの都市伝説まであるらしい。日本でいえば、尾崎豊が26歳で亡くなっている。


台湾にも、28歳で亡くなったロック・ヒーローがいる。
名を李雙澤
そう聞いてピンとくる日本人は居ないと思うが、いわゆる団塊世代の台湾人にとっては伝説的なフォークロック・ミュージシャンで、台湾のボブ・ディラン(おっとタイムリー)とも呼ばれた人らしい。お父さんはフィリピン系華僑で、小学校のときに香港経由で台湾に来た。作曲家で歌手、そして画家でもあった。

1970年代以前の台湾音楽市場のメインストリームは洋楽だった。しかし、1972年の米ニクソン大統領による中国訪問、そして1978年の中華民国との国交断絶は台湾の多くの若者に衝撃をあたえ、洋楽への反発へとつながった。そこで生まれたのが台湾民歌、正式には「校園民歌(シャオユエン・ミング)」と呼ばれる潮流である。

唱自己的歌!(自分の言葉で自分の歌をうたおう!)」
を合言葉に「民歌の父」と呼ばれる卑南族/パイワン族の胡德夫(Ara Kimbo)や、文学者・余光中の詩を歌に起こした楊弦が登場するが、中でもヒーロー的な存在だったのが李雙澤である。
李雙澤が舞台で行ったとされる「(欧米文化の比喩である)コカ・コーラの瓶を割る」パフォーマンスは、いまでは「民歌」の象徴ともなっている。
代表曲は「少年中国(サオ二エン・ツォングオ)」と「美麗島(メイリーダオ)」。前者は中共との統一を意識させ後者は台湾独立を意識させるとして、それぞれ戒厳令下で禁歌となった。

ドキュメンタリー映画「四十年」は、昨年行われた民歌誕生40周年を記念するコンサート「民歌40」の模様を交えながら、これら「台湾民歌」の中心人物だった人々の姿を追い、その証言から「民歌」とは何だったのかを考えさせるドキュメンタリーだ。

「民歌」を日本でいうと、ちょうどフォークロック世代とかニューミュージックとか言われる音楽世代にあたり、フォークの神様と呼ばれた「山谷ブルーズ」の岡林信康とか吉田拓郎、「翼をください」の赤い鳥なんかを連想させる。

映画は、現在アメリカ在住の「民歌の父」である楊弦が、ギター屋でマーチンのアコースティック・ギターを試し弾きして、その演奏の素晴らしさに黒人の店主の眼をウルウルさせるという、めちゃくちゃカッコいいシーンからはじまる。また「台湾原住民運動の先駆者」ともいわれる胡德夫が、李雙澤から当時「おまえ卑南族なんだろう、卑南族の言葉で歌えよ!」と叱咤激励されて、
美麗的稻穗  https://www.youtube.com/watch?v=c-Qt6JtrjV8 」
(金曲賞で最優秀歌曲賞を受賞したスミンの「不要放棄」を彷彿とさせる)
を完成させたエピソードはまるで、岡林信康がキング・クリムゾンのロバート・フリップに「俺たちの真似じゃなく、日本のロックを聞かせろよ!」と言われて生み出した日本民謡調ロック「エンヤトット」の話にそっくりだ。
アジアで同時代的に「アメリカに追随せず自分たちの言葉で自分たちの音楽を」という動きが盛んだったことがよくわかり、しかもそのきっかけが、日本は日米安保、台湾はアメリカとの国交断絶という、アメリカを軸にして対極へ向かう出来事から派生しているというのが味わい深い。


もうひとり、映画のなかで中心人物として出てくる人がいる。
今年の東京映画祭は、台湾を代表してこの「四十年)がノミネートされたが、そのレッドカーペットを監督と共に歩いた、名司会者として名高い陶暁青である。
自身のもつラジオ番組で「民歌」を紹介しブームの火付け役となったことから「台湾民歌の母」とよばれた。
陶暁青は映画のなかで李雙澤についての恨みをぶちまける。当時の「民歌」のコンサートで陶暁青は司会者をしていたが、出てきた李雙澤のアジテーションがとんでもなく酷かったというのだ。そして、まるで現在は伝説のようになっている「割られたコカ・コーラの瓶」の真実を語る。そんないいものじゃなかった、と陶暁青は吐き出すようにいう。
「でも伝説ってそうやって作られる、そんなものよ。」

李雙澤はその後、淡水でフランス人の旅行者の女の子を助けるため海に飛び込み、28歳で帰らぬ人となった。伝説の完成である。
李雙澤の残した「美麗島」は禁歌となった後も台湾語の歌詞が付き、美麗島事件をはじめ台湾の民主運動にともなうテーマソングとして歌い継がれていく。そして40年目の今年ついに、蔡英文大統領の就任式で合唱されて、再び話題となった。


「民歌40」では、癌と戦いながらこれが最後のステージになると言う歌手もいた。
40年前から口づさんできた曲を、その頃の憧れのスターと共に歌うことができて、観客みんな幸せそうな顔をしていたが、こらえきれずに泣いている人もいた。この人たちひとりひとりの40年、さぞかし色んなことがあっただろう。わたしも今年でちょうど40歳なのだが、40年って結構いろんなことがある歳月だと我ながら思う。
いわんや台湾をや。
民歌の登場を台湾の民主前夜とすれば、社会的にも激動の40年である。

伝説とはならず、みんな27歳以降の人生を一生懸命生きている。ロックスターだって27歳で死んだ人だけじゃない、その数の何十倍もいて、その中からノーベル文学賞を受賞する人が現れたりする。なんとも愉快じゃあないか。
昨日の映画館の部屋は小さな部屋だったが満席で、お客さんは恐らくリアルタイムで「民歌」に触れてきた年齢の方達って感じだった。本編がおわって、いつもならみんな早々に席を立って帰ってしまうのに、エンドロールが終わるまでひとりとして席をたつ人はいなかった。
これまで台湾の映画館で100本以上の映画を観てきたが、これは初めての經驗だった。



台湾では残念ながら一ヶ月もたずに上映が終わってしまいそうな「四十年」だが、日本人にもそもそも馴染みのない歌ばかりだし、「台湾民歌」の歴史や社会背景など知らなければちょっとわかりづらいドキュメンタリーだけに、東京映画祭でどういう反応がでるか気になるところだ。




「四十年   ODE TO TIME」
監督:侯季然/台湾/2016






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