2017年2月20日月曜日

【台湾Arts&Crafts②】林秀鳳と竹夫人




大学から10年ほど京都で暮らした。
だから京都は第二の故郷ともいえて、特に大学のあった西京区・桂あたりは馴染みがふかい。
桂といって、京都のどまんなかで四条・祇園会館の隣にお店を構えていた世界一の喫茶店「たんぽぽ」のおかあさんに言わせれば、「まあ~ようそんな遠いとこからおいでてくれやしたなあ、おおきに。」と言われるぐらいの、京都郊外である。
「たんぽぽ」のおかあさんは、イヤミでそんなことを云うのではない。
心の底から、西は西大路あたり、北は今出川、南は九条通、東は大和大路までしか京都じゃない(いやもっと狭いかも)という「洛中洛外図」みたいな世界で生きていていた。
でも、毎回お別れするとき、わたしの二の腕あたりに「おおきに」と手を添えてくれる、それが本当に癖になった。チラリズムというか、触れたか触れないかみたいな絶妙な感触で、はじめて連れて行ってくれたのは敬愛する文筆家、安田謙一さんの奥さんだったが、それ以降もその「ひとふれ」ほしさに近場にいくと一人でも決まって伺った(いや普通の喫茶店ですよ、念のため)。残念ながら「たんぽぽ」はしばらく前に閉まってしまい、もう二度とあの「ひとふれ」には会えない。
とまあ、失われてしまった奇跡の「ひとふれ」は置いておいて、桂といえば桂離宮で有名なほか、四方に竹林の広がるタケノコの名産地である。
そして河井寛次郎によると、
「京都市外洛西の上桂に大八木治一という人が、日本竹製寝台製作所というものを作って」いて、「此処には台湾の人が十人くらい居て」、「自分の考のものをいろいろとそこで作って」もらうようになったらしい。
竹を介した日本と台湾の交流は、日本時代から行われてきたのである。
(昭和16年8月号『月刊民藝』の竹の特集における、柳宗悦、式場隆三郎との鼎談/民藝737号、寛次郎の娘・鷺珠江のエッセイより)





南投・草屯に暮らす竹工藝家の林秀鳳を訪ねた。訪問前にメールでやり取りしていた時は、言葉すくなくややぶっきらぼうな雰囲気だったので会う前はいささか緊張した。が、ひと目あってその目の色にふれ緊張は溶けた。工芸家には、繊細で優しく健康的な性格の人が多いという印象がある。工芸を支えてきた文化の積み重なりに日々向きあうことから生まれる、謙虚さによるのだろうか。
林秀鳳は草屯のうまれ。昼間は働きながら、手仕事を身につけたいと南投工芸研修所(國立台湾工芸発展中心の前々身)の夜間部に入り黄塗山に師事するようになったのが、民国60年のことである。それ以来、竹とまみえて40年以上。
現在、國立工藝発展中心の技術組にて竹工芸課を取り仕切る林秀鳳は、作家でありながら指南書や研究書を何冊も出版している研究者でもあり、この人を抜きにして台湾竹工芸の伝承を語ることはできない。竹に限らず、藤など植物編みの本も出している。林いわく
「竹はいちばん扱いにくい素材だから
竹を学べば他の植物編みもできるようになるものよ」。


昔から竹の豊富な台湾では、農具や背負う籠から始まり、椅子や机、棚などの家具や乳母車まで作るようになった。日本で使う「真竹」や「孟宗竹」と、台湾の竹は種類がちがい、材質としては日本のほうが上質であると林はいうが、発展中心の教室に飾ってあった「竹之各部応用図」をみると、その素晴らしいバラエティの富み方にあんぐりする。扇から茶道具、筆、笠などの小物から川を渡るいかだに家屋まで。生活のなかで必要な思いつく限りのものが、竹をもって作られてきたのだ。
とりわけ特徴的なのが、「母子椅子」(ブー キャア イー)である。

 

立てるとスツールだが、横にすると幼子を入れて遊ばせるベビーチェアとなる。つかまる部分には、輪切りにした竹が通してあり、子供が遊べるようになっている。釘を一切使わず竹で組み立ててあるから危険性もひくい。
この椅子は、林が作ったもので、実際に息子さんが幼いころに使用していたそうだが、河井寛次郎もかつて同じ椅子を娘さんのために作り、それは今も京都の河井寛次郎記念館に残されている。



壁にかけられてあった、花かごを長い筒にしたようなものが気になった。聞けばこれ、抱きまくらならぬ抱き竹で、呼び名を「竹夫人」という(色っぽい!)。ひんやりと肌にふれ、熱を逃がしてくれる竹の家具。しなやかでありながら、強度もあるからしっかり編めば少々からだを載せても潰れる心配はない。暑さのきびしい台湾ならではの知恵だ。




籃胎漆器や金工の技術を使った作品のほか陶芸家である夫君との合作など、基礎技術のうえに趣向をこらした作品がスタジオにならぶ。






編み方や留め方、端の処理、底の作り方など、現在伝わっている技法を駆使した作品が並ぶスタジオは、さながら台湾竹技術の資料館のよう。



林秀鳳のコレクションしている研究資料のなかで、特に気になったのがこの竹製の天使のオーナメント。かつて台湾で作られていたもので、クリスマスツリーなどの輸出用に作られていたようだ。


寛次郎は、先にあげた鼎談のなかでこんなふうにつづける。
「台湾や南方支那の竹家具ぐらい『竹』の立派な素質を出しきっているものはまれらしいと思う」
しかし、こうも語る。
「ここでおもしろい問題がある。台湾と京都とは凡そ違って居る。技術は確かに本島人のからだから出たものである。しかし、出来たものはどう見ても京都とは云えないが内地の匂がはっきり出て居る。」

かつて台湾の竹の職人が京都で作っていた竹家具は、技術は台湾のものでありながら、同じくして京都のものだった。
現在の台湾の竹工芸を見れば、京都や大阪堺の竹工芸技術に学んできたことは多いといえども、ここ南投でつくられる林秀鳳の作品はまぎれもなく台湾の林秀鳳のものである。スタジオを辞するとき、数々のうつくしい作品を産んできた林の手が、ふうわりとわたしの二の腕に触れた。
あれ、この感覚なつかしい。
なんだっけ。
そうだ、たんぽぽのおかあさんだ。


台湾と、はるか京都が、竹を通して繋がる。
南投・草屯の、風がはしって青い稲をゆらす中に建つ林秀鳳の家。
そこには竹製の枠が付いた出入り口があり、レースの暖簾がかかる。透けて風に揺れひらひらとするその向こうに、懐かしい京都洛西の竹林がみえた気がした。


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