2018年2月27日火曜日

【山口新聞連載第六回】農学博士・磯永吉/山口、台湾さがし。


(2018年2月23日付)
第6回「山口、台湾さがし。/農学博士・磯永吉」

磯永吉(1886~1972年)は、日本時代に農業技師・末永仁(1886~1939年)と「蓬莱米」(台中65号)という米を開発し、「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる農学者だ。蓬莱米は、ぱさぱさと細長いインディカ米だった台湾の米と、九州近郊で生産されていたジャポニカ米の品種「中村」を千種以上掛け合わせ、台湾の気候風土に合わせて改良された。現在も台湾の食卓に上り、台東の「池上米」などのブランドも蓬莱米から生まれた。

1957年まで台湾に留用・研究を続けた磯は、帰国先に山口を選び、4年間の滞在後に横浜へ転居、晩年は岡山で過ごした。台湾政府は磯の功績に感謝し、磯が亡くなるまで毎年20俵もの蓬莱米を贈り続けたという。山口に来た理由は、当時の小沢太郎県知事から山口農業試験場の顧問に招かれたためだった。

台湾大学の磯永吉学会のレポートによると、蓬莱米の元となった品種「中村」は江戸時代からあった品種「都」系に属し、都系で当時存在した品種は山口市小鯖の伊藤音一がつくった品種「穀良都」だった。つまり山口は蓬莱米の故郷に当たり、かつて磯が眺めていた山口の田んぼの稲たちは、台湾の蓬莱米の兄弟のような存在なのだ。それを知った上で、山口に来たのかどうかは分からない。

ふと、間もなく廃止される「種子法」のことが心配になった。種子法が廃止されることは、「日本の基本食料である米・大豆・麦のタネを国が守ることを放棄するもの」。つまり米などをはじめ作物の種の研究・供給について、国は今後サポートしないということ。農家が培ってきたノウハウや体制の混乱、将来的に簡単で育てやすい外国種に国産種が駆逐されてしまうことが心配されると聞いた。土地と密接に関わり合う食文化とは、私たちのアイデンティティーそのものである。多くの先人たちが努力の積み重ねの末に伝えてきた日本の「タネ」について、考えていかなければならないことは多い。

6回にわたり紹介した山口と台湾との「縁」。まだまだあるが、続きはまたの機会に譲る。こうしたことをきっかけに、台湾と山口双方の交流が進むことを願ってやまない。(おわり)

写真説明
「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる磯永吉。蓬莱米の元となった品種は山口でつくられたものだった=山口市


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