2018年2月25日日曜日

【山口新聞連載第一回】山口、台湾さがし。

(2018年2月9日付)
第1回「山口、台湾さがし。/児玉源太郎」

首相を多く輩出していることで有名な山口県だが、戦前の台湾総督にも、実は山口県出身者が多かった。第2代・桂太郎、第3代・乃木希典、第4代・児玉源太郎、第5代・佐久間左馬太、第11代・上山満之進と、19名のうち実に5名が山口県人だ。中でも台湾でよく知られているのが、周南市出身の児玉源太郎である。

 下関市の春帆楼で調印された「日清講和条約」で、清より台湾を割譲されて後、日本による台湾領有化が始まったのが1895年。当初は風土病や各地の抵抗勢力に苦しめられ、その困難さは第3代総督の乃木希典をして台湾をフランスへと売却する提案をさせたほどだった。そこで猛反対したことを機に台湾総督となったのが児玉源太郎で、東京都市計画の父と言われる後藤新平を右腕に、インフラ整備や産業振興など台湾近代化の基礎を築いた。現在も台北の国立台湾博物館へ行くと、児玉と後藤の銅像を見ることができる。戦後、日本時代の銅像はほとんどが撤去されたが、この2体がその中をどう無事にくぐり抜けてきたのか詳細は不明という貴重な銅像だ。この博物館建築、特にホール天井のステンドグラスの美しさが見どころだが、このデザインにも児玉と後藤の家紋がモチーフとして使われているらしい。

 ちなみにこの博物館を設計した技師も、山口県の出身者だ。吉敷郡吉敷村に生まれた野村一郎(1868~1942年)で、1887年に山口中学校を卒業後、第三高等学校(現在の京大)を経て、東京帝国大学工科大学にて建築工学を専攻した。1900年には台湾総督府技師として台湾へと赴任し、兵舎・学校・官庁・病院・工場を設計する。木材防腐工場開設や白アリ予防など亜熱帯に適した衛生的な木造建築の研究にも努め、国立台湾博物館(1915年)は代表作の一つとなった。

 周南市には、児玉源太郎を祭った「児玉神社」があり、台湾の元総統・李登輝氏により贈られた記念碑や、太平洋戦争の戦火をくぐり抜けた「台湾五葉松」の並木など、台湾とのゆかりをたくさん見つけることができる。また周南市出身の童謡「ぞうさん」で知られる詩人まど・みちお氏も、台湾で少年期を送ったことはあまり知られていない。
(栖来ひかり)

児玉神社そばにある児玉源太郎像は、台北市の国立台湾博物館にある児玉像を元に台湾人彫刻家によって作られた=周南市)

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