2018年2月26日月曜日

【山口新聞連載第二回】国分直一・金関丈夫・宮本常一/山口、台湾さがし。



(2018年2月10日付)

第2回「山口、台湾さがし。/国分直一・金関丈夫・宮本常一」


三方を海に囲まれ、各土地に特色ある紀行風土をもつ山口県は、多彩な民俗学・文化人類学についての見識を育んできた。台湾考古学・民俗学の基礎を築いた知の巨人・国分直一(1908~2005年)もそれを支えた一人で、亡くなるまで山口で暮らした。

太平洋戦争がおわり、32万人以上の日本人が台湾から日本へと引き揚げたが、その他260人ほどの技術者と家族が中華民国政府の要請で台湾に残って仕事を続け「留用日本人」と呼ばれた。少年期を台湾高雄で過ごし京大に進学後、台湾に戻り研究者となった国分直一も留用日本人だ。1949年に228事件が勃発して社会情勢が険しくなったのをきっかけに日本へ引き揚げたのち下関市の梅光学院大学に着任、80歳代後半まで名物教授として学生を指導した。国分と同じく留用日本人となり、のちに九州大医学部教授となった解剖学/人類学の金関丈夫(1897~1983年)が、下関市豊北にある土井ケ浜遺跡で行った大発掘調査から導き出した「日本人の起源」に関する大発見も、金関と国分が台湾でむすんだ縁が山口の地で結実した、と言えそうだ。

また日本民俗学の先駆・宮本常一(1907~81年)は、ハワイへの移民が多いことで知られる周防大島の出身である。その足跡を塗りつぶせば日本地図が真っ黒になるともいわれるほど日本各地でフィールドワークを重ねた宮本も、晩年は台湾原住民の村を巡り歩き「プユマ族と日本人の考え方も行動もあまりにも似ている」など、台湾について貴重な記録を残している(『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』/岩波書店)。

山口が育んだ民俗学・文化人類学の偉人たち。その志を現在に受け継いでいるのが、県立大の安渓遊地教授だ。晩年の国分直一と親交が深く、安渓教授によってまとめられた国分直一の自伝エッセー『遠い空』(安渓遊地、平川敬治(編)/海鳥社)は、実直な言葉で日本時代の高雄の風景がのびやかにスケッチされていて大変に読み応えがある。国分亡きあと、安渓教授の手によりその膨大で貴重な蔵書は全て金関丈夫の蔵書と共に台湾大学図書館に寄贈され、現在は図書館5階にてきれいに整理されて並んでいる。研究者にとっての蔵書とは「頭の中身」のような存在と私は勝手に思っているが、国分直一と金関丈夫の脳みそは、懐かしい台湾にてついのすみかを見つけたのである。
(写真・文/栖来ひかり)
(国分直一の死後、その膨大な蔵書が寄贈された台湾大学図書館=台北市)

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