2018年2月27日火曜日

【山口新聞連載第四回】台湾実業家列伝/山口、台湾さがし。


(2018年2月20日付)
第4回「山口、台湾さがし。/台湾実業家列伝」

日本時代の台湾で活躍した山口県人は、総督や官民ばかりではない。「台湾東部開発の父」と呼ばれる賀田金三郎(1857~1922年)は萩の商家に生まれた。大倉組総支配人として台湾に赴任し、軍需品や食品、建材の運送・建築を一手に担い、児玉源太郎総督から厚い信頼を得る。
台北米穀市場、台湾日日新報、台湾製氷会社、台湾銀行、台陽鉱業株式会社などの創始に関わったほか、1899年に賀田組を設立。台湾東部を開拓して賀田村を開村し、花蓮にトロッコ鉄道や製糖工場、樟脳加工工場をつくった。現在も花蓮に賀田の功績をたたえる開拓記念碑が残っている。
賀田の墓は萩市の海潮寺にあり、その向かいの享徳寺に眠るのが、日本漁業の近代化に貢献した国司浩助(1887~1938年)。萩市で育ち、英国に渡ってトロール船について研究、日本を代表する漁業会社「ニッスイ」の基礎をつくる。その後、台湾に初めてトロール漁船を導入し、高雄や基隆に冷蔵庫が設けられたことで、台湾の人たちの食卓に東シナ海で穫れた魚が上ることとなった。
台湾の「倉庫王」の異名を取った実業家の三巻俊夫(1879~1961年)は山口中学校を卒業。1916年に台湾倉庫株式会社の取締役に就任、台湾内のインフラ整備に伴い増加した運輸・倉庫業を一手に担い「倉庫王」と呼ばれた。
台湾で初めてできたデパート「菊元百貨店」のオーナー重田栄治(1877~不明)は岩国市生まれ。菊元百貨店は当時、台湾全土で総督府に次いで高い6階建てで、現在は台北市の歴史建築に指定されている。
台南の観光スポットとして人気の「林百貨店」を創立した林方一(1883~1932年)は山口市徳地生まれ。29歳で新天地に希望を抱き台湾へと渡った。台南の呉服商に勤めたのち独立、1932年に林百貨店の建設に着手するが、過労からか体調を崩し、11月に入院。夢見続けた12月5日の開幕式に出席することなくこの世を去った。

林デパートの社員にも山口県出身者は少なくなかったようで、超モダンな当時の最先端のデパートで飛び交っていた言葉は、もしかすると「山口弁」だったかもしれない。
(写真・文 栖来ひかり)

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