2018年2月27日火曜日

【山口新聞連載第五回】湾生の県知事、小沢太郎/山口、台湾さがし。


(2018年2月22日付)
第5回「山口、台湾さがし。/湾生の県知事、小沢太郎」

「湾生」とは戦前の台湾に生まれた日本人のことを言う。山口県は多くの人が台湾へ渡ったため、湾生の人が少なくない。
台湾の離島・澎湖島で生まれた小沢太郎(1906~1996年)もその一人。台南中学を卒業後、萩出身の父親の故郷である山口県へと戻った。旧制山口高等学校から東京帝国大学法学部に進み、第代台湾総督・上山満之進との縁で再び渡台、台湾総督府に就職する。戦後の引き揚げ後、53年県知事選に出馬し初当選。下関漁港の修改築など遠洋漁業の振興を図り、瀬戸内沿岸を中心に大規模工場の誘致に成功。佐波川ダムをはじめ各地のダム建設、山口大学の創設など、戦後の県の産業インフラ建設に業績を残したが、最も記すべきは秋吉台の自然を守ったことだろう。

明治期から日本陸軍の演習場だった秋吉台は、戦後陸上部隊の演習という条件付きで米軍に使用されていた。ところが米軍から航空部隊による爆撃演習の申し入れがあると、小沢はただちに反対。アイゼンハワー米大統領に直訴の手紙を送り、米軍将校たち数人を前に「もし爆撃演習を行うならば、知事自ら現場に座り込む」と迫るなど粘り強く交渉を続け、ついに爆撃演習を中止させた。

小沢の気骨ある人柄は、台湾で生まれ育った影響が少なくないように感じる。例えば太平洋戦争末期の皇民化政策について、「本島人の信仰に干渉し、祠廟を廃し、またはその祭典を抑制して神社参拝を強要し、日本語の使用を強制し、改姓名を奨める等、まことに言語道断、乱暴極まる行政が行われていた」と自伝に記す。当時の第18代長谷川清総督に「日本の台湾統治の目標は島民を幸福にすることであるが、経済的には豊かになり物質的幸福はあっても、法制的・社会的不平等が存在し」「国家非常事態の今こそ、差別を是正して、島民と心から手を取り合っていくべき」と進言もしている。

こうした相対的視点と信念は、台湾で生まれ育ち台湾人の友人も多かった小沢ならではと言えるだろう。敗戦ぎりぎりまで台湾人の権利向上に奮闘したが、最後の台湾総督となった安藤利一とぶつかり、台南に左遷されて終戦を迎え、ついに引き揚げとなった。

写真説明
湾生の小沢太郎元県知事が記した自伝『風雪』

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