2018年4月25日水曜日

【台東歳時記①1日目/知らなかったよ台東にこんなにも日本人が】


朝はやいうちに「太魯閣(タロコ)号」にて台東へむかった。
藪から棒で恐縮だが、わたしの先祖をたどっていくと遠く遠く台湾の東部原住民にたどり着く(と勝手に思っているだけだが、この理由で1時間ぐらい語れるのでここでは省く)ので、台東に行くのは二回目だけれども、何だか墓参りにでも行くような清々しい気分である。

タロコ号は山口県下松市にある日立製作所で作られ、運ばれて来た鉄道車両だ。萩出身で日産や日立を創立した実業家の久原房之介が、弟でニッスイの創立者・田村市郎と共に1919年下松市の埋め立て地に設立した笠戸造船所では、1924年より蒸気機関車を作るようになった。現在もすべての日立製鉄道車両がここで作られているし、タロコ号のほか台湾新幹線の日立製車両(台湾新幹線にはほかに、川崎重工製と日本車輛製がある)も山口県から海を越えてきた。きょうはそれに乗って、台東の方々に山口県を紹介しに行くのだ。誰かが頑張れと背中をポンと叩いてくれているかんじ。
昼前に台東の駅につくと、イベントに呼んでくれた晃晃書店を経営する素素が、原チャリで迎えにきてくれた。原チャリ2ケツなんて何年ぶりだろう。
「このまま美味しい原住民料理を食べに行こう!」と渡してくれたヘルメットはすごく年季が入っている。これを被ったら、完全に現地の人になったきぶん。

台東には原チャリが良く似合う。
緑かがやく田んぼが続く横長の風景のなか、抵抗感のすくない美味しい水みたいな風を切って走るうちに、身体のなかの緯度が調整されて体内時計が「台東時間」になる。荷物を持ったまま、ついた先は「台湾史前博物館」。https://www.nmp.gov.tw/


台湾の古代の自然や、台湾原住民についての展示が主な博物館。ちょうど来るときに電車の中で調べていて、行きたいと思っていた場所。すごいねー素素、なんでわかるの私の行きたい場所が。これはきっと、いい旅になるとおもう。 

台湾史前博物館2階のカフェは穴場だ。ルカイ族出身のリリーさんという女性が作るプレートは、色んな原住民料理の特色(スパイスや食材、料理法)が盛り込まれ、美味しくて綺麗。伝統の竹包ご飯は、自分でガンガン叩いて割るっていうアクティビティーもたのしい。カウンターで注文とるのは、ワーホリに来ている日本人の男の子。あまりにも、中国語がしゃべれないのに、何となく普通に働けているのが面白い。そして困ったときは大声で、厨房奥のリリーさんに向かって叫ぶ。その声がすごいデカい。
「リリー!」「リリー!」「てぃんぶとん!」
まるでお母さんを呼ぶ子供みたいに健気だ。


展示のなかで特に興味深かったのは、原住民の「歌」についての展示。黒沢隆朝による台湾原住民の音楽調査「戦時臺灣的聲音」は戦争末期の1943年に「高砂族の音楽」として発行されたもの。この時期にこういう研究が続けられていたことに驚くが、これが後に「音階の発生よりみた音楽起源論」に昇華される。
元始的な「和諧」による布農族(プヌン族)の合唱は、神道雅楽の笙のポワーーーーっていう音を思わせる。唄っているプヌン族おじさん達の顔は、日本人によく似ていて懐かしい。日本の商店街の店先とかでいるよね、こういう感じのおじさん。
最近、日本では「ヤポネシア」(ミクロネシア・ポリネシアなどの太平洋海洋文化圏の中で日本の位置づけを再検証する)が流行っているらしいけれど、私も山口本を書いているときはそんな事ばっかり考えていた(考えているうちに、冒頭の自分のルーツに思い至ったのだが)。
上山満之進は、台湾総督を退くときの慰労金の半分を使って、陳澄波に「東台湾臨海道路」の製作を依頼、残りの半分を台北帝国大学に渡して原住民の言語のついての研究を依頼し、それは二冊の学術研究に結実した。
民俗学者の柳田国男とも親交が深かった上山は、原住民の生活に関心を持ち続け、台湾中の部落を足しげく視察した。そのとき上山は、台湾原住民に自分たち日本人との精神的な共通点(祖霊信仰)があることや、顔立ち骨格が似ていることに気づき、台湾に日本人のルーツを観たのではないだろうか。そうした自分へと連なってきた文化と血の脈絡への畏敬と尊敬の念が、上山が台湾を深く愛した理由のひとつであったような気がする。



もうひとつ見応えがあるのは、時代と支配者によって変化してきた原住民の「歌」がおさめられたレコードの展示。時代によって、民謡や日本語・台湾語・中国語ポップスと変化するなかで、外部からの要求の内在化と抵抗を繰り返しながら形作られる原住民というアイデンティティの揺らぎには、胸を締め付けられるものがある。
https://www.nmp.gov.tw/exhibition/special/list.php



3時からの晃晃書店のトークには、台東にお住まいの日本人や日本語を勉強されている方々が駆け付けてくれた。皆様「はじめまして」だったけど、台東にこんなにも日本人がいるなんて知らなかった。トークのテーマは主に、台湾と山口の繋がりと、どうしてそういった繋がりが出来たのかと、それを生み出した明治維新というものの評価について。
大変スムーズで「ない」中国語の喋りだったけれど、皆さんが出してくださる助け舟に甘えながら、何とか喋り終えた。このテーマでの講座は初めてで、課題が山盛りだけれども、単なる観光案内というよりは、こちらの方が楽しんで貰えるのではないかと思う。5月に台北でまたやるので、それまでにもうちょっと中身を詰めたい。山口県酒造協会が提供してくれた「雁木」を持っていってみんなに試飲してもらった。「雁木」はわたしも大好きなお酒なので、喜んでもらえて嬉しい。
夜は、日本人女性が開いている「フライトン・カフェ」で美味しい和風定食を頂いた。繰り返すようだけれど、こんなに日本人がいるなんて本当にびっくり。食事のあと、ひとりで鐵花村をぶらぶら。聴こえてきたブリブリとごつくてカッコいい音に釣られて観に行ったら、なんと京都から来ているというバンド。台東にこんなに日本人がいるなんて(以下略)   
→台東二日目につづく。

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