2018年4月26日木曜日

【台東歳時記②2日目/映画『台湾萬歳』の舞台・成功鎮へ】


目を覚ますととそこは、台東の本屋だった。

まだ眠りのなかにある書店内で、ふわふわの毛に包まれ優雅で気ままで、触ったら「にゃー」となく生き物があちこちでスルっと動く気配がする。
山口本の出版記念トークに呼んでくれた台東市内にある「晃晃書店」は、店長猫はじめ沢山の猫が店内にいるのと、上階がゲストハウスになっているので名高い、台湾東部を代表する独立書店だ。 https://www.facebook.com/089catbooks

オーナーの素素が、スクーターで朝ご飯を食べに連れていってくれた。
ビーフン炒めから杏仁スープにワーグエイ、巻き寿司にサンドイッチと何でもある、駄菓子屋と雑貨屋がいっしょになった食堂で朝ご飯を食べながら、素素がいま新築中の店舗を、地域の生活文化水準を高めるためのプラットフォームにする計画を話してくれた。素素とご主人が、台東に惚れこんで本屋のほぼ無かったこの地に移り住んでから10年以上がたつ。住んでいるうちに、地域の問題もいろいろわかってきて、それに少しずつでも対応していけるようなコミュニティが出来つつあるという。

例えば台東には日本でいう「生協」(台湾では主婦連盟)がないので、美味しく安全な食品を大口購入して地域の人たちとシェアするとか、「地域貨幣」の考え方を導入して、それぞれ個人が出来る労働を等価のエコマネーと交換するといった話はとても興味深かった。台東には沢山の原住民が暮らしているが、原住民家庭の多くは父母が都会へ働きに出ていて、放任された子供が非行化する例が少なくない。台湾映画『只要我長大』でも語られていたように、現在の貧困とは食べ物が足りないとか、物質的な問題ではない。
(『只要我長大』 参考:
https://taipeimonogatari.blogspot.tw/20…/…/blog-post_25.html

寄付などで全国から集まった絵本は沢山ある。しかしそれを子供たちに読んであげる人が居ないから、子供たちは絵本に興味を持つことがない。そうしたことから学習への意欲が薄れ、大きくなっても仕事の選択肢が少なく、原住民家庭のなかで貧困が再生産されていく。
地域に必要なのは物質と個人との間に介在する「人の手」であって、それをコミュニティの中でどうやって回していくか。壊れた屋根を修理するような技術力を要する労働から、留守にしている家の庭の水やりをするなど比較的単純な労働まで、エコマネーに換算して回していくことで、地域の人たちの生活や文化的な品質を高めていけるのではないか、、、杏仁スープをすすりながらそんな話をした。


お店へ帰ると、前日のトークを観に来てくれて知り合った台東在住の本村さとみさんが迎えに来てくれていた。本村さんは、琉球古武道をやっていて国際大会に出るほどの腕前なのだが、ホンワ~カした話しっぷりの琉球美人で、そのギャップがいい。
さとみさんの車で目指すは、台東市街から海沿いに一時間ほど北上した所にある漁村、成功鎮。酒井充子監督の台湾三部作最後の作品『台湾萬歳』の舞台となった場所だ。この日、映画『台湾萬歳』の現地プロデューサーである陳韋辰さんに、成功鎮をご案内いただけることになっている。


成功鎮は、日本時代の名前を「新港」といった。東台湾では蘇澳に次ぐ自然港だったのが、1932年に整えられ、沖縄・和歌山・千葉・熊本・大分・徳島からの家族移民を迎えて漁港・寄港地として栄えた。当時の人口はアミ族1万6千人、平埔族と本島人2千人、日本人430人。
その頃に日本人漁師から伝えられたカジキマグロの銛突き漁が名物で、漁港に泊められた色とりどりの漁船の先端には、今もながいながい銛が備え付けられる(写真2枚目)。戦後は「鄭成功」の名前を取って「成功鎮」と名を改め今に至る。
漁港近くにある、漁を守る「成功萬善廟」にはカジキマグロのお神輿があり、お祭りの時にはこれが街中をめぐる(写真3枚目)。メインストリートである中華路(写真五枚目)は真っすぐ山の方に伸びていて、ゆっくり勾配となり突き当りに警察署がある。町全体がきれいな碁盤の目になっていたり、メインストリートが真っすぐ延びて少し坂道になり警察署があったりするのが、いかにも日本時代に作られた街という感じがする。 →③につづく

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