2018年6月25日月曜日

【タイワニーズ 故郷喪失者の物語】


野嶋剛さんからご恵投いただいた新刊『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』を拝読しました。『SAPIO』誌連載のときから凄味のある記事だとは思っていましたが、改めて書籍として読み始めたら、体温があがり胸がバクバクするような面白さ。
そしてなんと、私のひそかな夢が叶っていた。
『食は広州にあり』や『象牙の箸』といったグルメエッセイとの出会いをきっかけに、「ハイQ」という邱永漢さん自身が運営するインターネットサイトを見つけ、恋に落ちたみたいに邱さんを追いかけた日々がかつてあった。といってもQ(邱)さんの本を読んだり、Qさんが推奨する中国株をほんの少し買ってみたり(この株がまた上がらない株だった)、奥さんのレシピで台湾料理を作ったりしてただけだが、知れば知る程にその止まらない機関車みたいなエネルギーと高速回転する脳みそ、世界を見る透徹した眼、浪費され続ける文学的才能と、野心と欲深さが交じり合う人間臭さにのめりこんだ。
商売人なのか文学者なのか。
いい人なのか悪人なのか。
台湾人なのか、中国人なのか、日本人なのか。
どれを当て嵌めても「ニセモノ」なのにどれを当て嵌めても「ホンモノ」で、そのどこを打っても響きかえってくる「邱永漢」という思想は、結婚というアクシデントによって台湾を全く知らないまま日本を離れた私に、アジアのダイナミズムの幾ばくかを教えてくれ、心の支えとなった。
だから邱さんが亡くなって、世間では「お金儲けの神様が亡くなった」と少し記事になったぐらいで、邱永漢さんの凄さを俯瞰して書かれたものはなに一つ出てこないことがずっと気にかかっていた。そんな時に野嶋さんの『台湾とはなにか』を読んで、「あー野嶋さんが邱永漢さんを書いてくれたらいいのに」とずっと思っていた。「夢がかなった」というのは、そういう意味だ。
書籍『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』では、邱永漢さんのほか蓮舫さんやリチャード・クー親子、小説家の東山彰良さんなど、台湾と日本にまつわる稀少な履歴とファミリーヒストリーをもつ方々がまな板に載せられる。フェイスブックを見ているかぎり、野嶋さんは相当の食いしん坊とお見受けするが、『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』を読んでいると、取材対象に切り込むその包丁さばきに惚れ惚れする。
包丁も一本だけではなくて、鎌形から出刃、中華包丁から刺身まであらゆる種類がそろえてある。素材や料理法に合わせて、切ったり叩いたり揉みこんだりと手のかけ方が見事だ。そしてどの仕事にも、野嶋さんのこれまでの経験と知見を生かした確かな揺るぎなさがみえる。
出来上がった野嶋特製「台湾料理」は、多彩な経験と文化を備え、複雑で深くてとっても豊かな味がするが、その豊穣さの中に美味しいだけではない、恐ろしい毒が仕込まれている。それは「我々」という言葉だ。
温又柔さんの章で、とある文学関係者が温さんに投げかけた言葉が紹介される。「あなたのような方が我々の日本文学に関わってくれるのは大変光栄です」。
そして野嶋さんは、こう書く。
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「我々の」とはいったいなんなのか。
「あなたのような方」っていったいどういう人なのか。
この男性の発言は、温又柔の口から聞くと、分別のない言葉のようにも聞こえるが、いつ私がこう語ってもおかしくない。
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「我々」とはいったいなにか。読者なのか、日本人なのか。じゃあ日本人って何なのか、日本の国籍を持つ人なのか、日本にルーツをもつ人なのか、「かつて日本人」だった人も含むのか。「台湾料理」の定義が難しいのと同じぐらい、「我々」の定義は困難だ。むしろ本書を読めば、「我々」の輪郭はどんどんぼやけて曖昧になっていく。でもそれが知りたくて、もっと味わいたくて、どんどん口に運んでしまう。食べれば食べるほどに、お腹がすく。
そんな『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』は優れた人物評論である上に、「極上のグルメ本」でもあると思うのだ。






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